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内田裕也の学歴|高校は中退で大学進学せず音楽の道へ!学生時代・経歴まとめ

内田裕也の学歴・経歴

内田裕也さんは堺市立大美野小学校(現:堺市立登美丘西小学校)を卒業後、堺市立三国丘中学校から清教学園中学校、大阪市立旭陽中学校へと2度の転校をしています。

そして、大阪府立旭高等学校に進学しましたが中退し、大阪府立三国丘高等学校 定時制課程に編入するも、のちに中退しています。

高校中退後も大学などには進学せず、19歳の時にロカビリーバンド 『ブルージーン・バップス』を結成し、音楽活動を開始。

そんな内田裕也さんについて、どんな学生時代を過ごしていたのか、学歴や偏差値はどうなのか気になる方もいると思います。

そこでこの記事では、内田裕也さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)や幼少期や学生時代のエピソードについて調査しました。

この記事でわかること
  • 内田裕也さんの学歴一覧(大学・高校・中学校・小学校)
  • 内田裕也さんの学生時代や幼少期のエピソード
目次

内田裕也の学歴一覧!大学・高校・中学校・小学校

内田裕也さんの学歴一覧はこちらです。

【学歴一覧】

大学:進学しなかった
高校
:大阪府立旭高等学校 (中退)→大阪府立三国丘高等学校 定時制課程 (編入も中退)
中学校:堺市立三国丘中学校→清教学園中学校→大阪市立旭陽中学校 (※最終学歴)
小学校:
大阪府堺市立大美野小学校(現:大阪府堺市立登美丘西小学校)

また内田裕也さんの学歴に関する内容のほか、大学・高校・中学校・小学校それぞれのエピソードも見ていきましょう。

内田裕也は大学に進学しなかった!理由は?

【学歴】内田裕也さんは大学には進学しませんでした。

高校を中退された後も内田裕也さんは、19歳の時に美川鯛二さん(現:中村泰士)北原謙二さん佐川ミツオさん(現:佐川満男)らとともに、ロカビリーバンド『ブルージーン・バップス』を結成しました。

音楽との出会いでご自身が何をしたいかを高校在学中に見出されて高校を中退されているため、大学などへの進学は考えられていなかったのかもしれません。

高校中退後の活動・経歴

19歳の時にロカビリーバンド『ブルージーン・バップス』を結成した内田裕也さんは、翌年の1959年には大手芸能事務所 渡辺プロダクションに所属して、同年に日劇ウエスタンカーニバルへの初出場を果たします。

1960年には、かまやつひろしさん高見純さんらとともに、バンド『サンダーバード』で活動していましたが、ロカビリーからジャズ志向へ強いバンドになったことから、内田裕也さんはバンドを脱退しています。

その後もしばらくは、山下敬二郎さんらとのバンド『レッド・コースターズ』や、田川譲二さんらとのバンド『ダブル・ビーツ』など、様々なバンドを渡り歩きました。

音楽を極めようと邁進していた内田裕也さんは、1963年に恩地日出夫監督作品の映画『素晴らしい悪女』裕福な家庭の息子 山下徹 役で出演し、俳優デビュー&映画初出演を果たしました。

1965年に公開された映画『エレキの若大将』では勝ち抜きエレキ合戦の司会者 役で出演され『シャークス…シャーク(癪)な名前ですね』といったジョークを交えた軽妙なセリフと演技を披露し、注目を浴びました。

学歴マニア

それまでロカビリー色の強かった内田裕也さんですが、1960年代中頃からはビートルズなどの影響でロック色を強めた活動に転換していきました

1966年6月に行われたビートルズ日本公演では、尾藤イサオさんとのツインボーカルで、バックに『ジャッキー吉川とブルーコメッツ』『ブルージーンズ』での特別編成バンドで前座として出演。

また、同年に大阪の道頓堀にあるジャズ喫茶『ナンバ一番』で活動していたファニーズ(のちのザ・タイガース)をスカウトしています。

内田裕也さんはこのスカウトについて『沢田研二というか、タイガースに出会ったとき、オレにはない華やかさがあると思った。最初は『内田裕也とタイガース』という名前で売り出してやがて独立させた』と明かしています。

学歴マニア

その後、活動の場を関西から東京へ移した内田裕也さんは、音楽活動や音楽プロデュースなどで事務所と意見が合わず、対立してしまいます。

1967年に春頃から3か月ほどヨーロッパへ渡り、オーストリアやドイツなど6か国を周り、ジミ・ヘンドリックスさんバンド『ピンク・フロイド』などの新しいロックを知り、新しい体験を経験します。

帰国後、その経験を活かして同年11月に内田裕也さんは、麻生レミさんをボーカルとしたバンド『内田裕也とザ・フラワーズ』を結成。

『内田裕也とザ・フラワーズ』はシングルやアルバムを何枚かリリースしましたが、ヒットすることはなく、1973年4月に行われた京都の東山にある円山公園でのコンサートを最後に活動を休止しました。

プロデュース&俳優活動の経歴

音楽活動を続けていた内田裕也さんでしたが、やがてプロデュース側へ転身します。

内田裕也さんは1973年2月に行われた日本ロックンロール振興会主催『第1回ロックンロール・カーニバル』をプロデュースし、ファニー・カンパニーキャロルクリエイションなどの有名バンドが出演しました。

また、同年には自身初のソロアルバム『ロックンロール放送局(Y.U.Y.A 1815KC ROCK’N ROLL BROADCASTING STATION)』を発表しています。

そして、同年10月に樹木希林さん(旧:悠木千帆)と出会って1ヶ月でご結婚され、のちに長女でエッセイストの内田也哉子さんが生まれました。

同年12月には年越しロックイベント『フラッシュ・コンサート』を開催し、1974年8月に『ワンステップ・フェスティバル』、1975年8月には『第1回ワールドロック・フェスティバル』の主催しました。

ほかにも内田裕也さんは、ジェフ・ベックさんロックバンド『ニューヨーク・ドールズ』などの来日に尽力するなど、1970年代中盤からは国外アーティストの招聘(しょうへい)に尽力しました。

学歴マニア

招聘とは、『礼儀を尽くして人をお招きすること』を意味し、専門家や重要なゲストを正式かつ丁重に招く場合に使われる言葉になります。

また、1970年代後半からは映画俳優としても活躍され、神代辰巳監督作品の映画『嗚呼!おんなたち 猥歌』では、ジョージ 役で出演し、本人のキャラクターを活かした歌手役を演じて反響を呼びました。

さらに、内田裕也さんは映画『コミック雑誌なんかいらない!』映画『魚からダイオキシン!!』で脚本と主演を務められ、この2つの映画は大きく評価されています。

1981年には、樹木希林さんと離婚すべく、離婚届を区役所に提出するも、樹木希林さんは離婚を認めず訴訟となり、離婚無効との判決が下り、そのまま婚姻関係は続く出来事がありました。

『ロックの父』や『ロックの助産師』と言われた内田裕也さんは、プライベートでもトラブルで問題を起こし、話題になりましたが、2019年3月17日肺炎のため、東京都内の病院で逝去されました。(享年79歳)

内田裕也 プロフィール
  • 名前: [本名]内田 雄也(うちだ ゆうや) [芸名]内田 裕也(うちだ ゆうや)
  • 生年月日: 1939年11月17日
  • 没年: 2019年3月19日(享年79歳)
  • 国籍: 日本
  • 出身地: [生まれ] 兵庫県 西宮市 [育ち] 大阪府 堺市
  • 血液型: B型
  • 身長: 174㎝
  • 口癖: 『ロックンロール』(Rock’n Roll)
  • 所属事務所: 渡辺プロダクション(1959年~2019年)
  • 元所属グループ: ザ・フラワーズ / フラワー・トラベリン・バンド
  • 活動期間: 1959年~2019年
  • 主な活動: ロック歌手 / 俳優 / ソングライター
  • 代表曲: 『シェキナベイベー』『コミック雑誌なんかいらない』『さらば愛しき女よ』
  • 趣味: スキューバダイビング
  • 特技: 英会話
  • 憧れの存在: エルヴィス・プレスリー(歌手/俳優) / ジョン・レノン(ビートルズ)

内田裕也は大阪府立旭高校から大阪府立三国丘高校(定時制)に編入も中退

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