木原龍一さんの最終学歴は、中京大学スポーツ科学部です。
また東海市立名和小学校・東海市立名和中学校に進学。
高校はフィギュアスケートの名門校で、浅田真央・安藤美姫・宇野昌磨らを輩出した中京大学附属中京高等学校です。
この記事では、木原龍一さんの学歴や学生時代、ペア転向の理由、経歴などをまとめました。
木原龍一さんの学歴・学生時代
木原龍一さんのフィギュアの経歴やペア転向理由
木原龍一の学歴一覧|大学・高校・中学校・小学校
木原龍一さんの学歴一覧はこちらです。
| 学歴区分 | 学校名 | 補足情報 |
|---|---|---|
| 大学(最終学歴) | 中京大学 スポーツ科学部 | 在学中にペア転向。2014ソチ五輪に出場 |
| 高校 | 中京大学附属中京高等学校 | フィギュアの名門校。全日本ジュニア2位 |
| 中学校 | 東海市立名和中学校 | 本格的に競技へ集中し始めた時期 |
| 小学校 | 東海市立名和小学校 | 4歳でスケートを開始 |
【最終学歴】木原龍一は中京大学スポーツ科学部
【中京大学スポーツ科学部】
| 【学歴】 中京大学スポーツ科学部 | |
|---|---|
| 偏差値 | 47.5〜52.5 |
| 学校の場所 | 〒466-0825 愛知県名古屋市昭和区八事本町101−2 |
| 他の有名人 | 羽生結弦(フィギュア) 安藤美姫(フィギュア) 大野雄大(プロ野球) |
学歴のほか、大学時代のエピソードも見ていきましょう。
大学3年でペア転向を決断した理由
りくりゅうペアとしてミラノ・コルティナオリンピックで金メダルを獲得した木原龍一さん。
しかし、そのキャリアの出発点は男子シングルでした。
全国上位の実力を持ちながらも、木原龍一さんが直面したのは日本男子シングル史上でも屈指の激戦時代。
2012年全日本選手権では12位でした。
その当時、上位には羽生結弦さん、高橋大輔さん、宇野昌磨さんら世界レベルの選手が並び、この環境で世界を目指すのは現実的に厳しい状況でした。
そんな中、木原龍一さんの運命を変えたのが日本スケート連盟からの“ペア強化”要請です。
2014年ソチ五輪から団体戦が導入されることになり、日本はペアの強化が急務に。
そこで連盟は急きょトライアウトを実施し、木原龍一さんにも声がかかりました。
本人は当初「転向する気はなかった」と語っていましたが、参加したことで状況が一変したそうです。
トライアウトで見えたのは、 「ペアなら競技を続けられるかもしれない」 という新しい可能性。
シングルで結果が出せず悩んでいた木原龍一さんにとって、大きな転機となりました。
最終的に木原龍一さんは、
- シングルの壁の厚さ
- ペアでの将来性
- 競技を続けたいという思い、これらが重なり、ペア転向を決断します。
この選択がなければ、のちの三浦璃来さんとの“りくりゅう”結成も、五輪金メダルも存在しませんでした。
まさに人生を変えた大きな決断だったと言えますよね。
在学中にソチ五輪に出場
2014年ソチ五輪で木原龍一さんが組んでいたのは、元世界選手権銅メダリストの高橋成美さんです。
2人は2013年にペアを結成し、わずか1年で五輪の舞台へ。
ネーベルホルン杯で繰り上がり出場枠を獲得し、団体戦と個人戦に挑みました。
団体戦では18位、個人戦では19位という結果でしたが、日本のペアが五輪の舞台で存在感を示した貴重な大会となりました。
特に木原龍一さんにとっては、シングルから転向して間もない中での大舞台でしたが、ここで得た経験が、後の“りくりゅう”世界王者への道を切り開く大きな転機となったと言えるかもしれません。
木原龍一の出身高校は中京大学附属中京高等学校
【中京大学附属中京高等学校】
| 【学歴】 中京大学附属中京高等学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | 61〜65 |
| 学校の場所 | 〒466-0827 愛知県名古屋市昭和区川名山町122−122 |
| 他の有名人 | 浅田真央(バンクーバー五輪銀メダリスト) 宇野昌磨(平昌・北京五輪代表) 安藤美姫(世界選手権優勝) 吉田陽菜(フィギュアスケーター) |
学歴のほか、高校時代エピソードも見ていきましょう。
高校時代エピソード
木原龍一さんは高校時代、急激な身長の伸びにより 成長痛でまったく滑れない時期が数カ月あったそうです。
一方で練習ができる日は、1時間半ほぼ止まらず滑り続ける集中力と体力で周囲を驚かせていたのだとか。
とにかく負けず嫌いで、できない技をそのままにせず、できるまで練習を続けるタイプでした。
学歴マニア木原龍一さん優しそうに見えるから
負けず嫌いって意外ですね!
全日本ジュニア選手権2位
高校3年生だった木原龍一さんは、全日本ジュニア選手権でショート4位からフリー1位へと大きく巻き返し、総合2位に輝きました。
この大会は、木原龍一さんがシングル選手として全国トップレベルに到達した瞬間であり、強いスケーティングと安定したジャンプが高く評価されました。
木原龍一は東海市立名和中学校・東海市立名和小学校の出身
学歴のほか、幼少期から中学時代までのエピソードを見ていきましょう。
4歳からフィギュアスケートを始める
木原龍一さんがフィギュアスケートを始めたのは4歳のときです。
ま他幼少期はとにかく元気すぎる子どもで、母親が“有り余る体力を発散させるため”にスケート教室へ連れて行ったのがきっかけだったそう。
体操・水泳・英語・バレエなども試しましたが、どれもすぐ飽きてしまい脱走することもあったそうです。
しかし氷の上ではすぐに走り始め、母親が「スケートが合っている」と直感。
バンクーバー五輪代表・鈴木明子さんを育てた荻野正子コーチの指導を受け、基礎を徹底的に鍛えられました。
中学時代
木原龍一さんは中学2年の途中から名古屋市内のスケートクラブへ拠点を移し、名将・長久保裕コーチに教わることになりました。
シングル選手としてジャンプ技術を磨き、ジュニアグランプリでも上位に入る実力者でした。



指導者からは「自由奔放」「マイペース」と言われていたそうです!
家族構成(実家)
木原龍一さんの実家は、父・母・本人の3人家族で、兄弟の情報がないことから一人っ子とされています。
父親は職業非公開ながら、アメリカのクラシックカー好きとして知られ、一定の経済的余裕があったのでは?と推測されています。
また母・鈴江さんは幼少期から練習の送り迎えや食事管理を支えた存在です。
実家は愛知県東海市で、スケート王国・名古屋圏の環境の中、家族の献身的なサポートが木原龍一さんの競技人生を支えてきました。
木原龍一の経歴|フィギュアスケートの歩み
学歴のほか、木原龍一さんのフィギュア人生(経歴)もまとめました。
経歴一覧表
木原龍一さんの経歴一覧はこちらです。
| 時期 | 区分 | 主な内容・実績 |
|---|---|---|
| 1996〜 | スケート開始 | 4歳でスケートを始める |
| 2003(小5) | ノービス | 全日本ノービスB 優勝 |
| 2004(小6) | ノービス | 全日本ノービスA 3位 |
| 2010–2011 | ジュニア | JGPブラエオン・シュベルター杯 3位、全日本ジュニア 総合2位、世界ジュニア 10位 |
| 2011–2012 | ジュニア | JGPバルティック杯 3位、全日本ジュニア 3位 |
| 2012–2013 | シングル最終年 | 全日本選手権 3年連続12位。 |
| 2013年1月 | ペア転向 | 日本スケート連盟の要請でトライアウト参加 → 高橋成美とペア結成(愛称:成龍) |
| 2013–2014 | ペア(高橋成美) | ネーベルホルン杯11位 → 繰り上がりで ソチ五輪出場(団体戦SP8位/FS5位、個人SP18位) |
| 2014–2015 | ペア(高橋成美) | 四大陸10位、世界選手権19位。2015年にペア解消 |
| 2015–2019 | ペア(須崎海羽) | 平昌五輪団体戦出場(SP7位)。 |
| 2019〜 | ペア(三浦璃来) | “りくりゅう”結成。世界トップレベルへ躍進 |
| 2022 | 北京五輪 | 団体戦 銀メダル(日本ペア史上初の快挙) |
| 2023 | 世界選手権 | 日本ペア史上初の世界選手権優勝(さいたま) |
| 2025 | 世界選手権 | 2度目の世界選手権 優勝(ボストン) |
| 2026 | ミラノ五輪 | 日本ペア初の金メダル、団体戦 銀。 |
| 2026年4月17日 | 引退 | 競技生活を終了(ISU公式) |
木原龍一さんがペアを組んだパートナーは高橋成美さん(ソチ五輪)、須崎海羽さん(平昌五輪)、三浦璃来さん(世界王者・ミラノ五輪金)の3人です。
各時期で経験を積み、現在の世界トップへつながりました。
三浦璃来選手とのペア結成のきっかけ
前のパートナーと別れ、ケガの治療でリンクから離れていた木原龍一さん。
競技を続けられるか不安を抱えていた時期に、声をかけてきたのが三浦璃来選手でした。
インタビューでも以下のように語っています。
もともと僕が前のパートナーとペアを解消して、ケガの治療中だったんです。
そのときに三浦選手のほうからお話をいただいて、結成するに至りました。



りくりゅうペア結成秘話ですね!
以上、木原龍一さんの学歴・経歴についてお届けしました。
これからも木原龍一さんの活躍を応援しています!


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