泉ピン子さんは日本音楽高等学校に進みますが、中退して芸能の道へ飛び込みます。
そして歌謡漫談家として下積みを重ね、のちに国民的女優となりました。
独自の話芸と存在感でチャンスをつかみ、舞台やドラマ、バラエティー番組と幅広く活躍!
本記事では、泉ピン子さんの学歴から、歌謡漫談家・女優としての経歴などをまとめました。
泉ピン子さんの学歴・経歴
泉ピン子さんのプロフィールや国籍・夫との関係
泉ピン子の学歴一覧|大学・高校・中学校・小学校
泉ピン子さんの学歴一覧はこちらです。
【学歴一覧】
大学:進学しなかった
高校:日本音楽高等学校(中退)
中学校:品川区立日野中学校
小学校:品川区立日野小学校
泉ピン子さんは日本音楽高等学校に進みますが、中退しているため、最終学歴は中卒となります。
泉ピン子は日本音楽高等学校を中退(現在:品川学藝高等学校)
| 【学歴】 日本音楽高等学校(現:品川学藝高等学校) | |
|---|---|
| 偏差値 | 41 |
| 学校の場所 | 〒142-0042 東京都品川区豊町2丁目16−12 |
| 他の有名人 | 工藤静香(歌手) 栗山千明(女優) |
ただし高校中退後、すぐに牧伸二さんに弟子入りし、三門マリ子の芸名で歌謡漫談家としてデビューしています。
そのため、芸能活動に専念するために中退した可能性が高いと考えられます。
母校へ凱旋も
日本音楽高等学校を中退した泉ピン子さんですが、2020年にはOB(卒業生・在籍者)として凱旋し、後輩たちに熱血指導を行いました。
ちなみに日本音楽高等学校の著名な出身者としては、工藤静香さんや栗山千明さんなどがいらっしゃいます。
泉ピン子は品川区立日野中学校・日野小学校の出身
【学歴】泉ピン子さんは品川区立日野中学校・日野小学校の出身です。
高校は中退しているため、最終学歴は中卒となります。
学歴のほか、学生時代や幼少期のエピソードも見ていきましょう。
実の母親とは2歳の時に死別
泉ピン子さんは、実の母親とは2歳の時に死別しています。
その後、父親である浪曲師の廣澤龍造さんが再婚しました。
泉ピン子さんは小学校4年生になるばで育ての母(継母の三門お染)が実の母親ではないことを知らずに育ったそうです。
おしゃべりが大好きな性格
泉ピン子さんは幼少期から、見たり聞いたりしたことを友達や家族に話すのが大好きだったそうです。
のちに歌謡漫談やレポーターとして才能を発揮する下地は、この頃からすでに芽生えていたのかもしれません。
泉ピン子の歌謡漫談家・女優としての経歴
泉ピン子さんの歌謡漫談家・女優としての経歴を見ていきましょう。
ウィークエンダー時代
歌謡漫談家(三門マリ子)としてキャバレー巡りを続けていた泉ピン子さん。
1975年に日本テレビ「テレビ三面記事 ウィークエンダー」でリポーターに抜擢され、ここで芸名を泉ピン子に解明しました。
初レポートは豚の性行為という衝撃的な内容で、その後もゲイバーやストリップなど、様々な現場を多く担当。
強烈なキャラで人気を集める一方、新日本婦人会の「ワーストタレント1位」にも選ばれました。
女優としての経歴
泉ピン子さんは「ウィークエンダー」で見せた熱血レポートが評価され、1975年に「神戸国際ギャング」に出演。
ここから女優としての活動が本格的に始まりました。
同年には、TBSの演出家・鴨下信一氏から
「美人でもなく、知的でもなく、金もない”3ナイ女優”を探していた」
とドラマに誘われたそうです。
そして鴨下信一氏が演出を手掛けた「花吹雪はしご一家」に出演しました。
また1980年には日本テレビ「手ごろな女」でドラマ初出演を果たし、歌手としても1977年に発売した「哀恋蝶」が10.9万枚を売り上げるヒットを記録。
紅白を目指すも落選し、歌手としての意地から、その後は応援出演の依頼を断り続けていました。
しかし2014年、朝ドラ「マッサン」の出演を気に、紅白への出場希望を表明し、念願の初出場を果たしました。
一方、女優として大きな転機となったのは朝ドラ「おしん」で演じた母親役。
この作品で高い評価を得て、脚本家・橋田壽賀子さんからも厚い信頼を得て、以後は橋田作品の常連として活躍します。
1990年にスタートした「渡る世間は鬼ばかり」では、約30年にわたってシリーズを支える中心的存在になりました。
泉ピン子のプロフィール(本名・国籍・夫)
泉ピン子さんのプロフィールを見ていきましょう。
プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | 三門マリ子、泉ピン子(現在) |
| 本名 | 武本小夜(たけもと さよ)※旧姓:江口 |
| 生年月日 | 1947年9月11日 |
| 出身地 | 東京都中央区 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 女優・タレント・歌手・元歌謡漫談家 |
| 所属 | 浅井企画 |
| 配偶者 | 武本憲重(医師) |
| こども | なし |
泉ピン子さんの国籍がたびたび話題になっていますが、生粋の日本人です。
泉ピン子さんは歯に衣着せぬ物言いや毒舌で、キャラの濃さから「外国出身なの?」と勘違いする人も多いようです。
さらに「ピン子」という芸名も外国っぽいことも関係しています。
夫・武本憲重さんとの結婚秘話
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退院後、お付き合いが始まって1カ月後にはプロポーズされました。
ファン泉ピン子さんが当時41歳
その当時、泉ピン子さんは仕事に邁進していたことから、断ろうとしたそうですが、「君がいいんだ」と強引に押し切られて結婚したそうです。



「あなたは私じゃなくて、真夏はエアコンの効いた涼しい部屋で、冷えたビールを出してくれるような人と結婚したほうが幸せなんじゃないの?」
って聞いたんだって!なんか泉ピン子さんらしいよね。
また、泉ピン子さんは旦那さんとの結婚を以下のように語っていました。
結婚も41歳のとき。夫は癌研究会附属病院に検査入院したときの担当医師だったの。退院後お付き合いが始まって1カ月後にはプロポーズされました。私は結婚より仕事ってときだったから、「あなたは私じゃなくて、真夏はエアコンの効いた涼しい部屋で、冷えたビールを出してくれるような人と結婚したほうが幸せなんじゃないの?」って言ったの。でも「君がいいんだ」と強引に押し切られて結婚しました。
引用:美ST ONLINE
夫・武本憲重さんの学歴や経歴については、以下の記事にまとめています。
泉ピン子の現在
夫婦生活については、泉ピン子さんはインタビューで語っています。
泉ピン子さんの旦那・武本憲重さんは、早く帰って来いとも、遅く帰っても何も言わなかったそうです。
他に女性と隠し子がいたことも全然気づかなかったと話しています。
ただその時、泉ピン子さんは自身が仕事ばっかりだったのもあって、旦那さんである武本憲重さんを責めなかったそうです。
そしてお互い、家を出ていこうとしたときに出口でぶつかって、武本憲重さんは「ふたりとも出て行ったら誰もいなくなるよ」と伝えたのだとか。
その後は、話し合って犬を飼い始め、そのまま暮らすことになったそうです。



旦那・武本憲重さんからの
長い詫び状は置いてあったらしい
今では離婚しなくてよかったと語る泉ピン子さん。
泉ピン子さんと旦那・武本憲重さんは現在「週末婚」らしく、東京と熱海を行き来する生活を送っているそうです。
旅行にも行くそうですが、ふたりで一緒に行くのは一部で、他はすべて別行動なんだとか。
お互い自由に過ごしていると語っていました。



泉ピン子さん
犬の誕生日は一緒にお祝いするけど、結婚記念日は毎年忘れてる。
って言ってた(笑)
以上、泉ピン子さんの学歴・経歴についてお届けしました。
これからも泉ピン子さんの活躍を応援しています!



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