和田唱さんは西原小学校、玉川学園中学部を経て、玉川学園高等部へ進学。
その後、文化学院専門課程美術科で美術分野を学び、1997年に卒業しました。
芸能界でTRICERATOPSのボーカル・ギターとして活躍する和田唱さんについて、どんな学生時代を過ごしていたのか、学歴や偏差値はどうなのか気になる方もいると思います。
そこでこの記事では、和田唱さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)や幼少期、学生時代のエピソードについて調査しました。
- 和田唱さんの学歴一覧(大学・高校・中学校・小学校)
- 和田唱さんの学生時代や幼少期のエピソード
和田唱の学歴一覧!大学・高校・中学校・小学校
和田唱さんの学歴一覧はこちらです。
専修学校:文化学院 専門課程美術科
高校:玉川学園高等部
中学校:玉川学園中学部
小学校:西原小学校
また和田唱さんの学歴に関する内容のほか、大学・高校・中学校・小学校それぞれのエピソードも見ていきましょう。
和田唱は文化学院専門課程美術科卒業(2018年閉校)
現在はエイジェック学園と統合
【文化学院 専門課程美術科】
文化学院 専門課程美術科 | |
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偏差値 | 専修学校のためなし |
学校の場所 | 東京都墨田区両国二丁目18番5号 |
他の有名人 | 中嶋 朋子(女優) とよた 真帆(女優) 秋川 リサ(ビーズ作家) |
TRICERATOPSを結成した
この学校はお茶の水にキャンパスがあり2014年に両国キャンパスへ校舎移転しています。
芸術や美術に関する勉強をしていたようです。
一方で、文化学院時代に【TRICERATOPS】を結成しました。
和田唱さんは、バンドのメンバー募集を楽器屋に貼っていたそうでメンバー募集の紙に電話番号を書いて
電話番号を切って持って帰れるような仕組みで募集をかけていました。
募集を見た人から電話がかかってきて、お茶の水で待ち合わせをしたら和田唱さんの理想と全く違う人が来て
そう簡単には自分が思っている理想の人は来ないんだと思ったそうです。

メンバー募集がトラウマになったんだって
1995年に友人の紹介で知り合った林幸治さんと曲作りを始め、1996年にスタジオミュージシャンとして
活動していた吉田佳史さんを加入しバンド活動を本格的に開始しています。
1997年にバンド名と同じミニアルバム『TRICERATOPS』をリリースしてエピックレコードジャパンで
メジャデビューを果たしました。



友人の紹介でできたバンドなんだ!
絵本作家と出会っていた
2020年に出したソロアルバムに収録されている「さよならじゃなかった」という曲から
この曲の世界観で何かできないかと思ったそうです。
最初は曲名と同じタイトルの絵本にする予定で、「NHKみんなのうた」のような
「さよならじゃなかった」のビデオをアニメ風に作る予定でした。
そこからこれを絵本にしたい!と思い紆余曲折があり、【ばぁばぁがくれたもの】とういう絵本が出来ました。
絵は文化学院の同級生だった佐々木一聡さんに絵を描いてほしい!とお願いをしたそうです。
和田唱さんは佐々木一聡さんが文化学院で描いていた絵をずっと覚えていて、絵本の構想をした時に
自分で書くより佐々木一聡さんの絵が頭に浮かんだと話しています。
もちろん理想は自分一人で絵も描いて、ストーリーも書けたらカッコイイなとは思うんですけど、今回の絵本を構想したときに、自分で描くというよりは彼の絵が頭の中にパッとよぎって「カズくんに頼めばいいかもしんない!」
引用:MAG2NEWS



独自の絵を授業で描いていたんだって!



同級生とタックを組んで絵本を作製したんだ!
文化学院は自由な校風だった
文化学院は大正時代に西村伊作さん、与謝野晶子さん、与謝野鉄幹さん、石井柏亭によって創設されました。
西村伊作さんの長女が小学校卒業を機に様々な学校を見て回っていましたが、自分が思う教育方針の学校がなく
当時の学校令に縛られない自由で創造的な学校を作ろうと思ったそうです。
一流人たちによる芸術・学問の教育を行う活発で自由な学校を目標とし、文化学院を開校しました。
文化学院は日本で初めて男女平等教育を実施し、日本文化だけではなくキリスト教精神や西洋文化的教育も盛んに行われました。
そのため和服より洋服を推奨していて、当時では珍しく生徒のほとんどが洋服を着ていて
文化学院はオシャレの代名詞として知られていたそうです。
2009年には日本で初めて、シネマリテラシー教育を開始し、前期と後期でドキュメンタリーの短編ドラマの制作を行っていました。
和田唱さんも自由な環境で、美術や芸術を学んだことで自身の音楽やアートへの影響があったと思われます。



自由な校風が合っていたんだって!



自由にのびのびと学べたんだろうな~
【偏差値59】和田唱の出身高校は玉川学園高等部
【玉川学園高等部】
玉川学園高等部 | |
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偏差値 | 59 |
学校の場所 | 東京都町田市玉川学園6-1-1 |
他の有名人 | DAIGO(タレント) 石川セリ(歌手) 川上麻衣子(俳優) 川平慈英(タレント) 矢部裕貴子(俳優) |
玉川学園は創設当初より国際教育が盛んに行われており、世界中に提携校があります。
年間を通して短期もしくは長期留学する生徒が多数いて、提携校からの留学生も多数来校しています。
音楽の教育にも力を入れていて、特に「合唱」は高等学部3年生まで必修教科になるほど力を入れています。
朝のHRや帰りのHRでも多くのクラスで合唱を行っているそうです。
高校3年生の時にプロダクション契約が決まていた!
和田唱さんが高校3年生の時に、お父さんの和田誠さんが挿絵などで関わった本の100冊記念パーティーに参加をしました。
和田誠さんの友達のジャズバンドが演奏することになっていて、和田唱さんも1曲演奏することになったそうです。
ギターをよく弾いてはいたのですが人前で演奏するのはこの時が初めてで、和田誠さんの知り合いがいる中で演奏するのは嫌で、最初は断っていました。
しかし、和田誠さんの友人から強引に誘われ、またお母さんの平野レミさんにも「絶対にやったほうがいい」と言われて
クラプトンがカバーしたブルースを演奏したと話しています。
人前で演奏したことはないし、まして親父の知り合いがいっぱいいるなかで演奏するなんて嫌だったので、最初は断ったんですが、親父の友達から強引に誘われて、母親にも「絶対にやったほうがいい」と言われて押し切られて、クラプトンがカバーしているブルースをやりました。
引用:音楽主義
会場にプロダクションの代表の方がいて、パーティーが終わったときに平野レミさんのとこへ来て
「ぜひうちでやらせとほしい」と言われたそうです。



たじろぎ時期が2年間ぐらいあったんだて!
音楽への自信はあったのでアンバランスな葛藤もありながら高校の時から曲作りを始めました。



どこでチャンスがあるかわからないね!
ピアノを習っていてよかった
特にピアノの習い事がつらかったそうで、譜面を見ながら演奏するのが苦手だったそうです。
練習曲を繰り返し弾かされるのが苦痛でしかたなく、よく居残り練習をさせられていました。
高校生になってから【The Beatles】に夢中になったそうです。
【The Beatles】の“Hey Jude”や“Lady Madonna”をピアノでコピーしようと思ったときに、幼少期の経験が
役に立ち、ピアノを習っていてよかった!と話しています。
高校生になってThe Beatlesに夢中になり、“Hey Jude”や“Lady Madonna”などをピアノでコピーしようと思ったときに、あの頃の経験が役に立ったから、今思えばやっておいてよかったなと思いますね。
引用:CINRA



ピアノでコピーしようと思ったなんてすごいな!
【偏差値50】和田唱は玉川学園中学部の出身
【玉川学園中学部】
玉川学園中学部 | |
---|---|
偏差値 | 50 |
学校の場所 | 東京都町田市玉川学園6-1-1 |
他の有名人 | DAIGO(タレント) 矢部裕貴子(俳優) 梅澤廉(アナウンサー) |
ギターを始めた!
和田唱さんは最初ギターを弾くのに抵抗があったそうです。
当時バンドを組んでいたのはクラスのイケてる連中だったようで、女子にキャーキャー言われていました。
当時背が低く、子供っぽいことにコンプレックスを持っていたようで、ギターを弾いていた人達が気に食わなかったそうです。
しかし、『ギター楽しそうだな』という気持ちが高まり、ギターが弾けたら自分もモテるんじゃないか?と思い
ギターをこっそり買って家で練習するようになったと話しています。
当時、背も低く、子どもっぽかったことをコンプレックスに感じていた僕としては、まったくもって気に食わないわけです。でも、「ギター楽しそうだな」という気持ちには抗えなくて。「ギターが弾けるようになったら俺も、あいつらみたいにモテるんじゃないか?」という気持ちもあったんでしょうね。気づけばギターをこっそり買い、家で練習するようになっていました(笑)。
引用:CINRA



直接の要因ではないけどギターを始めたきっかけは
The Beatlesの影響もあるんだって!



最初は嫌だったけど
モテるためにって気持ちがあったんだ
教育方針がのびのびしていた
和田唱さんのお父さんで和田誠さんの教育方針は「好きなことをやらせる」だったようです。
和田唱さんが中学生の時、次の日から学期末試験なのに遅くまで帰って来なかった時がありました。
平野レミさんは心配をしてどうしようかと悩んでいたら和田誠さんは「いいから、大丈夫だよ」と言っていたそうです。
夜に和田唱さんがギターのパンフレットを抱えて帰ってきて嬉しそうに「どのギター買おうか?」とパンフレットを広げました。
平野レミさんは明日期末試験なんだから早く勉強しなさい!と怒り、部屋に追いやったそうなんですが
しばらくして、和田唱さんの部屋をのぞいたら勉強をせずにギターを抱えて眠ってしまっていました。
平野レミさんは和田誠さんに寝てるよ!と訴えたそうなんですが、和田誠さんは「それでいいんだよ」と言っていたそうです。
この時無理にでもギターを捨てて勉強をさせていたら今の和田唱さんはこんな楽しい世界を知らずにいたんだと話しています。
「あの時、ギターを捨てさせて勉強を強要していたら、彼はこんな楽しい世界を知らずにいたんだよ」と言ってた。偉大な父だったね、和田さんは。
引用:kufura



平野レミさんのお父さんも好きなことを徹底的にやれ!
っていう考え方の人だったんだて!



お父さんのおかげで自由にできたんだね!
和田唱は西原小学校の出身
【西原小学校】
西原小学校 | |
---|---|
偏差値 | 公立のためなし |
学校の場所 | 東京都渋谷区西原2丁目22−1 |
他の有名人 | 土岐麻子(歌手) 川口大輔(作曲家) 吉永小百合(女優) 田中真弓(声優) |
マイケル・ジャクソンに夢中だった
マイケル・ジャクソンの【Thriller】が世界でロングヒットを記録し続けていて、当時日本でもテレビをつけると
マイケル・ジャクソンのミュージックビデオが流れていました。
この頃から和田唱さんは、マイケル・ジャクソンに夢中になり【Making Michael Jackson’s Thriller】のビデオを
繰り返し何度も見ていたそうです。
1987年に横浜スタジアムで開催された来日公演に初めて行きました。
初めて行ったのがマイケル・ジャクソンのコンサートで尚且つスタジアムでの公演だったため、重低音が体に
振動をして「こんなに音が大きくて大丈夫?」と思ったそうです。



暗転した瞬間に周りが総立ちして
椅子の意味ないじゃん!って思ったみたい
初めてな出来事が多くショッキングでしたが、このステージを見てステージに立ってコンサートをやる事への
憧れがこの時に固まったと話しています。
とにかく、すべてがショッキングだったんですけど、ステージに立ってコンサートをやることへの憧れは、あのときに固まった気がします。
引用:CINRA



好きなアーティストのコンサート見れて
よかったね~!
以上、和田唱さんの学歴についてお届けしました。
専修学校:文化学院 専門課程美術科
高校:玉川学園高等部
中学校:玉川学園中学部
小学校:西原小学校
幼い頃や学生時代のエピソードは、今の和田唱さんを思わせるような話もたくさんあり、ほっこり癒されました。
これからも和田唱さんの今後を応援しています!
和田唱の学歴に関するSNSの声
高校のころ、やっぱり和田唱は気になる存在だったよ
— ネコ型さん (@nekogatasan) September 24, 2011
和田唱とかいう、実力派ボーカルギタリストにして名コーチ、ホント大好き
奥様にギターを教えて、普通に弾き語りできるまでに上達しててしゅごい…
『ぷっすま』で草彅剛にギター教えていた時もそうだった。
— レンブラント🍻🤼🎸🍴🍹 (@rembrandt_kbs) May 8, 2020
- バンドではロックサウンドで活躍し、ソロ活動ではアコースティックなサウンドにも挑戦するなど幅広い音楽性を持つミュージシャンとして評価
- 奥様が上野樹里さんで驚きだったが、今では理想の夫婦!



和田唱さんは学歴関係なく人柄や感性が評価されているね!
- 名前:和田唱
- 生年月日:1975年12月1日
- 年齢:49歳 ※2025年現在
- 出身地:東京都出身
- 血液型:O型
- 身長:171㎝
- 国籍: 日本
- 所属事務所:TRINITY ARTIST
- 活動期間:1996年~
- 主な活動:アーティスト
- 代表曲:大きなマンション
- YouTubeチャンネル:TRICERATOPS OFFICIAL
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