佐々木朗希さんの学歴を徹底調査!
佐々木朗希さんは大船渡市立猪川小学校を卒業後、大船渡市立第一中学校を経て、岩手県立大船渡高等学校に進学しました。
2019年に行われたドラフト会議で千葉ロッテマリーンズからドラフト1位の指名を受け入団し、プロ野球選手の活動を開始。
高校卒業後は大学には進学せず、プロ野球選手として活躍されていきます。
そんな佐々木朗希さんについて、どんな学生時代を過ごしていたのか、学歴や偏差値はどうなのか気になる方もいると思います。
そこでこの記事では、佐々木朗希さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)や幼少期や学生時代のエピソードについて調査しました。
- 佐々木朗希さんの学歴一覧(大学・高校・中学校・小学校)
- 佐々木朗希さんの学生時代や幼少期のエピソード
佐々木朗希の学歴一覧!大学・高校・中学校・小学校
佐々木朗希さんの学歴一覧はこちらです。
【佐々木朗希さんの学歴一覧】
大学:大学には進学しなかった
高校:岩手県立大船渡高等学校
中学校:岩手県大船渡市立第一中学校
小学校:岩手県陸前高田市立高田小学校 (※のちに岩手県大船渡市立猪川小学校へ転校)
また佐々木朗希さんの学歴に関する内容のほか、大学・高校・中学校・小学校それぞれのエピソードも見ていきましょう。
佐々木朗希は大学に進学しなかった!理由は?
2019年に行われたドラフト会議で千葉ロッテマリーンズからドラフト1位の指名を受け入団され会見も開かれました。
学生時代に数多くの実績を積まれ、千葉ロッテマリーンズからのドラフト指名で入団が決定していたため大学への進学はなかったのかもしれません。
小学3年生の頃から兄の影響で野球を始められ、高校3年生の頃には球速163km/hの投球を見せて『令和の怪物』と呼ばれるようになりました。
学歴マニアこのプロ契約の際の契約金は1億円プラス出来高払い5000万円
年俸1600万円(推定)という条件で合意され、背番号は17番でした。
プロ入り1年目となった2020年は公式戦登板は0回で、ロッテの井口資仁(いぐち ただひと)監督が『試合レベルに達していない。今シーズンはちょっと難しそう』という判断をされたことから、この1年間はプロで戦えるようにと肉体強化に専念されました。
2021年に公式戦デビューを飾り、CS(クライマックスシリーズ)ファーストステージ第1戦にて6回10奪三振1失点を記録して、プロ入りしてから最速の159㎞/hを記録して大きな話題になりました。
また、2022年には初の開幕ローテーション入りを果たし、NPBタイ記録の19奪三振で完全試合を達成され、毎回奪三振での完全試合達成は史上初なことや通算14試合目での達成は史上最速なこと、20歳5か月での達成は史上最年少記録になるなど大記録を樹立して大きな話題になりました。



1994年の槙原寛己選手以来28年ぶりの史上16人目の完全試合という
こともあり、佐々木朗希さんの名前は野球界の歴史に名を刻みました



2023年にはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に
日本代表として出場し、金メダル獲得に貢献しました!
2024年ではシーズン中好不調の波があったものの、全体としては安定したパフォーマンスを発揮され、プロ入り後初となる2桁勝利をあげられており、チームのリーグ3位にも貢献されました。
数々の記録を打ちたててきた佐々木朗希さんは、2024年1月に行われた記者会見にて将来的なメジャーリーグ挑戦の意向を表明され、2024年11月9日にはポスティングシステムによるメジャーリーグ挑戦がロッテから正式に容認されました。



佐々木朗希さんは球団を通じてコメントを発表されています。
『入団してからこれまで継続的に将来的な大リーグ挑戦について耳を傾けていただき、今回こうして正式にポスティングを許可していただいた球団には感謝しかありません。一度しかない野球人生で後悔のないように、そして今回背中を押していただいた皆様の期待に応えられるように、マイナー契約からはい上がって世界一の選手になれるよう頑張ります。』
そして、2025年1月17日にMLBのロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだことを自身のInstagramで発表し、後日改めて1月22日に正式に発表されました。



このマイナー契約の際の契約金は
650万ドル(約10億1400万円)で、背番号は11番。
小学生の時に震災で大切な家族を失ったことや中学生の時にした腰の怪我など、辛い経験を幾重も乗り越えた佐々木朗希さんは、野球で多くの人を元気づけています。
2025年2月21日(日本時間:22日)にご自身のInstagramにて、一般女性の方と結婚したことを発表されました。
【最終学歴】佐々木朗希は岩手県立大船渡高等学校の出身!
【岩手県立大船渡高等学校】
| 岩手県立大船渡高等学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | 普通科: 52 |
| 学校の場所 | 〒022-0004 岩手県大船渡市猪川町長洞7-1 |
| 他の有名人 | 小笠原満男(プロサッカー選手) 今野章(元プロサッカー選手) 栗生澤淳一(元バレーボール選手) |
スポーツが盛んな学校で、サッカー部や硬式野球部が県内で強豪として知られています。
佐々木朗希さんは2017年4月に岩手県立大船渡高等学校へ入学し、2020年3月に卒業されました。
大船渡高校に入学した理由
引用:朝日新聞デジタル
佐々木朗希さんをスカウトしていた高校には、全国的に有名な強豪校である大阪桐蔭高校や県内で強豪校として有名な花巻東高校などがありました。
大船渡高校に進学したことについて、『地元の仲間と私学を倒して甲子園に行きたいと思った。このメンバーで勝つことに意味があると思った』と話されています。



なお、大船渡高校にはスポーツ推薦などではなく一般入試で
入学されており、佐々木朗希さんは勉強も苦手ではないそうです。



また、私立高校ではなく公立高校を進学先にした
理由については次のように話されています。
『公立高校でも頑張れば勝てるんだということを証明したい。勝てば岩手や東北を元気づけることができると思う。それが役目だと思う』
引用:朝日新聞デジタル
高校でさらなる成長を遂げる
高校1年生の夏から公式戦に登板し、夏の岩手県予選での盛岡北高校戦の際には3番手として登板され、このときに球速147㎞/hを記録しました。



ですがのちに成長痛に悩まされたことから、
秋の公式戦では1球も投げずに終わったんだそうです。
高校2年生になり、春の大会での公式戦初先発を飾るだけでなく、球速153㎞/hを記録したことがこのときに大きな話題になりました。
さらに秋の大会では球速157㎞/hを記録して高校2年生としては史上最速タイの記録し、この大会の準決勝で166球を投げる熱投を見せましたが、惜しくも大船渡高校は盛岡大学附属高校に敗れています。
高校3年生の頃には侍ジャパンU-18代表に選出され、2019年4月に行われたU18代表合宿にて高校生史上最速の163㎞/hを記録したことで大きな話題になりました。



これまでの最速記録はMLBで活躍してる大谷選手の160㎞/hだったの!
それを3km/hも上回った投球した朗希くんはほんとすごい!
このときに日米12球団の専属スカウトマン達が視察していたそうで、あるスカウトマンは『こんな投手は見たことない』と評価したうえで、『まだ65%くらい』だと佐々木朗希さんのさらなる伸びしろを期待されていました。
大船渡高校 国保監督の名采配
佐々木朗希さんが高校3年生だった2019年の岩手県大会決勝戦は、大船渡高校にとって35年ぶりの甲子園出場の切符がかかった大事な試合でした。
しかし、大船渡高校を指揮していた国保監督は、佐々木朗希さんが決勝の4日前に194球、決勝前日に129球も投げていたことも含め、『佐々木朗希を故障から守るため』にマウンドに送り出すことはしませんでした。
『事前に本人に相談したら、『投げたいです』と言うのは明らかだった。野手に伝えたら、『僕らが朗希をサポートするので、投げさせてやってください』と言うに決まっています。一言でも彼らに相談したら、(佐々木の登板を)止められなくなると思いました。もし疲労困憊の状況でマウンドに上がったら、力んで投げて、たとえ勝って甲子園に駒を進めたとしても、肩、ヒジ、腰、股関節、膝……これは想像でしかありませんが、将来に残るようなケガのリスクは高かったんじゃないかなと思います』
このエース登板回避という采配にネット上では賛否の声が飛び交いましたが、『たとえあの日に時間が戻ったとしても、試合日程や登板間隔が同じシチュエーションなら、僕が朗希を花巻東との決勝に起用することはありません』と、国保監督は強い覚悟を表されていました。



『悲願の甲子園出場』よりも『教え子の未来』を守られたその
決断は賛否両論言われますが素晴らしいの一言に尽きますね!



佐々木朗希さんが投げればまた違う未来があったのかもしれませんが
目の前の勝利より選手の未来を優先された国保監督は凄いですね!
【岩手決勝】花巻東12ー2大船戸
出場しなかった佐々木朗希くん
11点差の最終回も円陣でメンバーに気合いの声掛け
佐々木くんもやっぱり純な高校生
試合後は3年間頑張った分の涙
決勝で佐々木くんを休息させた大船渡国保監督の采配は英断だと思う
花巻東ナインおめでとう
甲子園で暴れまくって下さい pic.twitter.com/ZsY479GOk0— Sky@ass (@sk_yass) July 25, 2019
佐々木朗希は大船渡市立第一中学校の出身!
【大船渡市立第一中学校】
| 大船渡市立第一中学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | 公立のためなし |
| 学校の場所 | 〒022-0006 岩手県大船渡市立根町宮田86 |
| 他の有名人 | 新沼謙治(演歌歌手) 戸田公明(政治家) |
佐々木朗希さんは2014年4月に大船渡市立第一中学校へ入学し、2017年3月に卒業されました。
中学時代は軟式野球部に所属
中学1年生の頃から実力を認められていた佐々木郎希さんは、中学2年生には秋の新人戦からエースナンバーを背負い、チームを引っ張っていきます。



また、中学生でありながら軟式にも関わらず
投球が最速141㎞/hを記録したことで注目され始めました。
硬式のボールだった場合、もっと球速が出ていたはずと言われていたそうで、これにより佐々木朗希さんをスカウトするため多くの高校野球の強豪校が声をかけられていました。
しかし、中学3年生となる直前の2016年初春に腰の疲労骨折が判明し、これにより長期間のリハビリを余儀なくされました。
ですが、佐々木郎希さんの野球に対する気持ちが折れることはなく、毎日グラウンドに来て自身が出来る練習をひたむきに取り組まれていたそうです。



野球は膝や肩を痛めるイメージがあるけれど
腰も痛めやすいんだね、知らなかった



佐々木朗希さんと約10年間同じチームでプレーしていた今野聡太さんは、常に努力を欠かさない佐々木朗希さんの姿を次のように語られています。
『本当に努力家でした。中学のときもけがをしていてもグラウンドに来て、できる練習をずっとしていた。確かに恵まれた体格で身長も大きいし腕も長いと思うし、天性のものもあるとは思うんですけど、それ以上に体の使い方とかをよく考えていました。』
地元チーム『オール気仙』に加入
中学生時代の佐々木朗希選手。
佐々木朗希は中学時代から優れた才能を発揮。
地元のクラブでプレーし、速球とコントロールの両方で注目を集めていたよう。
投球は当時から他を圧倒し、高校野球界に進む前から将来有望な選手として期待されていた。— こう (@f_ken_0101) July 2, 2024
岩手県では中学3年生が軟式野球部を引退すると、ゴム製ながら硬式球と同じ大きさ・重さの『Kボール』を使った競技の地域代表チームが結成され、大会に参加されます。
佐々木朗希さんも加入した『オール気仙』は、岩手大会に出場して見事に大会を制し、全国大会にまで進出を果たされています。



佐々木朗希選手はクローザーとしてチームを支え、
自己最速141キロ/hを記録し、活躍されました!



クローザーとは、主に野球の試合で最終盤や9回裏などに登板して
リードを守りつつ、試合を締めくくる役割を担う投手のことです!
また、この大会や練習での経験が佐々木朗希さんの投球パフォーマンスを飛躍的に向上させました。
『僕、手が大きいせいで小学校のときはC球に合わなかったし、中学のときはB球に合わなかった。それが自分に合うボールを握った途端、それまで130kmも出なかったまっすぐが、いきなり140kmを超えてきたんです。もともと悪かったコントロールも一気に安定して、それ以来、コントロールに苦しむことはありません。もう、嬉しくて……』
佐々木朗希さんはこのときのパフォーマンスで注目を集め、花巻東高校や盛岡大附属高校など、岩手県内の強豪私立校などから声がかかっていましたが、『大船渡の仲間と甲子園を目指したかった』という思いを胸に佐々木朗希さんは大船渡高校への進学を決断されました。
佐々木朗希は大船渡市立猪川小学校の出身!
【大船渡猪川小学校】
| 大船渡猪川小学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | 公立のためなし |
| 学校の場所 | 〒022-0004 岩手県大船渡市猪川町轆轤石23 |
| 他の有名人 | 松本哲也(シンガーソングライター) |
佐々木朗希さんは2008年4月に陸前高田市立高田小学校に入学されましたが、2011年に大船渡市立猪川小学校へ転校され、2014年3月に卒業されました。
何事にも一生懸命で負けず嫌いな男の子だった
本日先発の #佐々木朗希 投手が小学生の時の写真です。
マリーンズとはこの時から縁がありました。#chibalotte #広報 pic.twitter.com/jHI92HLzgm— 千葉ロッテマリーンズ 広報室 (@chibalotte_pr) May 5, 2023
小学生の頃はピッチングフォームを研究するのが好きだったようで、『憧れている選手のモノマネ』をすることで自身のピッチングフォームに磨きをかけられていたそうです。
しかし、始めたばかりの頃はボールが小さすぎて上手く扱えなかったそうで、佐々木朗希さんも当時を振り返って『思うような球が投げられず、コントロールも悪かった。下手くそだった』と話されています。



佐々木朗希さんが野球を始められたきっかけは
お兄さんだったんですね!



朗希君は小学生の頃から身長が高くて
手も大きかったから当時使ってたボールが小さすぎたみたい!
佐々木朗希さんが小学生の頃から身長が高かったのは、お母様の子育ての賜物だそうで『寝る子は育つ』で大きく育ってほしいと思い、早寝を行っていたようです。
そのため佐々木朗希さんは小学生の頃から20時には就寝していたそうで、プロ野球選手になってからもその教えを大切にしており、いまも早寝を心がけているそう。
小学3年生の時に東日本大震災に遭う
引用:毎日新聞
突然の激しい揺れに襲われ、しばらくして海から1km離れた学校からでも津波が迫ってくるのが見えたそうで、佐々木朗希さんは同級生たちとともに必死に高台まで逃げたそうです。
佐々木朗希さんが住んでいた陸前高田市は地震や津波で壊滅的な被害を受けたことから、多くの方が被災し、亡くなられています。
また、この震災で佐々木朗希さんは自宅が津波で流されただけでなく、大切な家族であるお父様と祖父、祖母を亡くされています。



避難所で水もなければ、お風呂にも入れず、食事も満足に出来ない
日々を経験した佐々木朗希さんは普通の日々のありがたさを知った
と話されています。



被災された佐々木朗希さんは、その後お母様の親族がいる
大船渡市に引っ越しをされました。
佐々木郎希さんは、『野球をしているときが、唯一震災の悲しみや寂しさを忘れさせてくれた』と話されており、日常のすべてを失った佐々木朗希さんにとって野球は心の支えだったことがうかがえます。
佐々木朗希さんの家族構成
家族写真(佐々木朗希さんは、右から3番目)
佐々木朗希さんのお父様の佐々木功太(ささき こうた)さんは葬儀屋に勤められていて、地元の陸前高田市では人望の厚いリーダー的存在だったそうですが、2011年3月におきた東日本大震災で亡くなられています。
37歳という若さで亡くなられており、震災当日も『帰ったらキャッチボールしよう』と約束されていたそうで、生前父として子供との時間を大事にされていた方だったことがうかがえます。
震災後はお母様の佐々木陽子(ささき ようこ)さんはシングルマザーになり、保険会社の営業職として働きながら女手一つで、3人の息子を育てられました。



3人の息子がみな野球をしていて成長期だったことから
1週間でお米10㎏も消費していたそうです!



子供の意志を尊重する『放任主義』でもありつつ
子供たちの希望に応えるかたちの育児をされていました。
佐々木朗希は高校時代、毎日弁当を3つ持って行っていた
兄弟3人とも野球をやっていたため佐々木家は1週間でお米が10kgなくなっていた#chibalotte #佐々木朗希 pic.twitter.com/6W5FQsKbST— まとめロッテ! (@matomelotte) September 2, 2024
お兄さんや弟さんとのエピソード
3歳年上のお兄さんである佐々木琉希(ささき りゅうき)さんは、『家族が暗くなるのは嫌だ。自分がしっかりしてみんなで頑張りたい』と決意され、父親代わりとして家族のまとめ役となって佐々木朗希さんと弟の怜希さんを支えていました。



佐々木朗希さんが野球を始めてピッチャーを志したきっかけはお兄さんがピッチャーで活躍している姿に憧れて目指すようになったそうです!



琉希さんは東北学院大学教養学部を卒業後は、
大手広告代理店に入社したと言われています!
引用:Happily ブログ
4歳年下の弟さんである佐々木怜希(ささき れいき)さんも野球の道に進まれており、兄2人と同じく大船渡高校野球部に所属して1年生の頃からベンチ入りをされていました。
内野手として活躍され、高校3年生の時には投手としても才能を開花させ、最速142km/hを記録されました。また、俊足を活かした走塁も得意だそうです。



2024年4月から中央大学野球部に所属されたそうで、
右投手としての活躍が期待されています。
佐々木朗希さんとはよく一緒にパワプロをするそうで、対戦をする際は怜希さんが強いチームを選ぶとあえて戦力が整っていないチームを選んで勝負するなど、配慮を見せるそう。
また、とても優しい兄でありつつ、目標として兄の背中を追いながらご自身の道を着実に歩まれています。
引用:スポーツ報知
以上、佐々木朗希さんの学歴についてお届けしました。
【佐々木朗希さんの学歴一覧】
大学:大学には進学しなかった
高校:岩手県立大船渡高等学校
中学校:岩手県大船渡市立第一中学校
小学校:岩手県陸前高田市立高田小学校 (※のちに岩手県大船渡市立猪川小学校へ転校)
幼い頃や学生時代のエピソードは、今の佐々木朗希さんを思わせるような話もたくさんあり、ほっこり癒されました。
これからも佐々木朗希さんの今後を応援しています!
佐々木朗希の学歴に関する世間・SNSの声
アメリカの高校で野球をやる数が47万人ぐらいで日本が12万人なので単純に4分の1ぐらいなのに大谷翔平、山本由伸、今永昇太、佐々木朗希とかバンバン出てくるのアメリカ人から見ても普通に凄いと思う。
— Hisashi Ito⚾️Knowhere(CEO/Founder) (@HisashiIt710) September 6, 2025
ロッテの映画見てきました。
佐々木朗希さんはとてもストイックで野球と真摯に向き合っている。彼の人柄としてわがままや舐めてるとか調子に乗ってるだなんて微塵も思えないです!本人の言葉を聞けば聞くほど、今季怪我をして悔しくて堪らなかったのが重く刺さる。。… pic.twitter.com/z71LeDP3Jr— ここな (@cocoaa__17) January 13, 2024
デッドボールした選手に向かって、謝罪を込めて頭を下げる佐々木朗希
久しぶりにヒットを打てた村上様に拍手を送る選手と観客
試合終了後に全員ベンチから出てきて日本のことを讃えたチェコの選手たち
全部ひっくるめて素敵な試合だった🇯🇵🇨🇿
こういうところに人柄とかチームの雰囲気が出るんだね🥺— そ い ☘︎︎ (@soy_soy_nuts) March 11, 2023
- 『佐々木朗希選手は160キロを超える剛速球を投げたり完全試合を達成したり、まさに「令和の怪物」!しかも野球が上手いだけじゃなく人柄も良くて、高校時代には地元の復興に貢献したり、チームメイトやファンに優しくしてたんだって。自分の夢を追いつつ周囲の人々を大切にしてて素敵』
- 『やった!大谷翔平の全部が好き山本由伸の安定感あるピッチングと人柄が好き佐々木朗希の躍動感溢れるピッチングフォームが好き』
- 『大谷選手が佐々木朗希投手に贈ったお祝いの言葉が称賛を浴びているが大谷選手の言葉を「何億円にも変わる最高のGIFT」と言った佐々木投手こそ最高に称賛される人柄だと思う』



『令和の怪物』言われるの納得だし、ほんと投げてる姿かっこいい!
- 名前: 佐々木 朗希 (ささき ろうき)
- 生年月日: 2001年11月3日
- 年齢: 24歳(2025年12月現在)
- 血液型: O型
- 身長: 192cm
- 国籍: 日本
- 出身地: 岩手県 陸前高田市
- 現所属事務所: ロサンゼルス・ドジャース(MLB)
- 元所属事務所: 千葉ロッテマリーンズ(NPB)
- 活動期間: 2020年~
- 主な活動: プロ野球選手 / 投手
- 愛称: ろうき / ろーたん
- 投打: 右投げ / 右打ち
- マウンド登場曲: [ロッテ時代]今夜このまま(あいみょん)/[ドジャース]Bailalo Rocky(DJロデリック)
- 好きな言葉/座右の銘: 人事を尽くして天命を待つ
- 趣味/特技: 料理
- 好きな歌手: あいみょんさん
- 憧れの野球選手: イチローさん / 田中将大さん / 大谷翔平さん











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