歌手・俳優として1980年代のアイドルブームを牽引した田原俊彦さん。
そんな田原俊彦さんの学歴や学生時代について気になる人も多いのではないでしょうか。
田原俊彦さんは山梨県の甲府工業高校に通っていましたが、大学には進学せず、高校在学中にジャニーズ事務所へ入所しています。
この記事では、田原俊彦の出身高校や大学進学の有無、ジャニーズ入りのきっかけなどを中心に、学生時代のエピソードやデビューまでの経歴についてわかりやすくまとめました。
田原俊彦の学歴一覧(大学・高校・中学校・小学校)
田原俊彦の芸能活動(経歴)
田原俊彦の学歴一覧(大学・高校・中学校・小学校)
田原俊彦さんの学歴一覧はこちらです。
| 学歴 | 学校名 |
|---|---|
| 出身大学 | なし(大学進学せず) |
| 出身高校 | 山梨県立甲府工業高等学校(土木科)※最終学歴 |
| 出身中学校 | 甲府市立東中学校 |
| 出身小学校 | 横須賀市立馬堀小学校 → 甲府市立甲運小学校 |
田原俊彦さんは、神奈川県の横須賀市立馬堀小学校に入学し、その後山梨県の甲府市立甲運小学校へ転校しました。
中学校は甲府市立北東中学校に進学。高校は山梨県立甲府工業高校の土木科で学び、この時期にジャニーズ事務所へ応募しています。
芸能活動が本格化したため、高校卒業後は大学へ進学せず、芸能界に専念する道を選びました。
田原俊彦は大学には進学しなかった!アイドルとしての経歴
大学に進学しなかった理由
高校在学中にジャニーズ事務所へ入り、「3年でスターになる」 という強い意志で芸能活動に集中したため。
高校在学中にジャニーズ事務所へ応募し、上京後すぐに『3年B組金八先生』で注目を集め、一気にトップアイドルへと駆け上がります。
歌手・俳優・ダンサーとして多方面で活躍し、80年代を代表するスターとして確固たる地位を築きました。
| 年代 | 経歴 |
|---|---|
| 高校時代 | ジャニーズ事務所に応募しレッスン開始 |
| 1979年 | 『3年B組金八先生』で俳優デビュー |
| 1980年 | シングル『哀愁でいと』で歌手デビュー |
| 1980年代 | トップアイドルとして活躍、数々のヒット曲を発表 |
| 1990年代以降 | ソロアーティストとして活動を継続 |
| 現在 | 歌手・俳優として精力的に活動中 |
【最終学歴】田原俊彦の出身高校は山梨県立甲府工業高等学校(土木科)
【甲府工業高等学校】
| 【学歴】 甲府工業高等学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | 44~49 |
| 学校の場所 | 〒400-0026 山梨県甲府市塩部2丁目7−1 |
| 他の有名人 | 佐野嘉幸(元プロ野球選手) 深沢修一(元プロ野球選手) |
学歴のほか、高校時代のエピソードを見ていきましょう。
「赤いバラ」を持ってジャニーズ事務所へ直談判
山梨から上京し、真っ赤なバラの花束を持って事務所のドアを叩きました。「スターになりたい」という強い意志でジャニー喜多川氏に直談判し、その場で養成所に通うことが許されました。
父親を小学生の時に亡くしており、母子家庭で経済的に苦しい時期がありました。
田原俊彦さんは「自分がスターになって家族を養う」という切実な決意があったと言われています。
山梨から東京へ「往復4時間」の過酷な二重生活
高校2年生からは、地元の高校に通いながらレッスンを受ける過酷な生活が始まりました。
田原俊彦さんは平日は甲府で授業を受け、放課後や週末は中央線で片道2時間以上かけて東京へ向かう生活を続けました。
土木科という男ばかりの環境でしたが、当時から学園祭などで目立つ存在であり、運動神経も抜群だったため、周囲からも一目置かれていたようです。
ドラマ『3年B組金八先生』での大ブレイク
高校3年生の秋、田原俊彦さんの人生を決定づける出来事が起こります。
ドラマ『3年B組金八先生』(第1シリーズ)の沢村正治役に抜擢されました。
撮影は高校在学中に行われており、この出演によって「たのきんトリオ」の一角として爆発的な人気を獲得しました。
卒業式当日には、田原俊彦さんはすでにアイドルとして超有名人になっていたため、多くのファンや報道陣が学校に詰めかける騒ぎとなりました。
田原俊彦は甲府市立東中学校の出身
【甲府市立東中学校】
| 【学歴】 甲府市立東中学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | なし |
| 学校の場所 | 〒400-0807 山梨県甲府市東光寺2丁目8−1 |
| 他の有名人 | 土井隆雄(宇宙飛行士) mire(ミレ) |
田原俊彦さんの中学校時代(甲府市立第一中学校)は、後のトップアイドルとしての「根性」と「スター性」が形作られた非常に重要な時期です。
特に、経済的な苦境を跳ね返そうとするハングリー精神が目立つエピソードが多く残っています。
学歴のほか、中学時代のエピソードもみていきましょう。
陸上部での活躍と「驚異の運動神経」
山梨県大会の100メートル走で上位に入賞するほどの実力者でした。
この時期に培われた脚力と体幹が、後に激しいダンスを踊りながら歌うパフォーマンスの基礎となったと言われています。
また田原俊彦さんの練習はとてもストイックで、誰よりも速く走ることに執着していたという同級生の証言が多くありました。
母子家庭での生活と「新聞配達」
小学生の時に父を亡くした田原俊彦さんは、中学時代、家計を助けるために懸命に働いていました。
毎朝、授業の前に新聞配達をしていました。
冬の寒い日も休まず続け、稼いだお金はすべて母親に渡していたという孝行息子の一面があります。
また田原俊彦さんは当時、生活が苦しかったことで周囲から心ない言葉をかけられたこともあったそうですが、それが逆に「いつか絶対に見返してやる、有名になってやる」という強い上昇志向に繋がったと本人が回想しています。
学歴マニア田原俊彦さんの幼少期からデビューまでの苦労話は自叙伝やエッセイなどで語られています。
自叙伝・エッセイ:『職業=田原俊彦』(KKベストセラーズ): 幼少期からデビューまでの苦労話が詳細に綴られています。
すでに始まっていた「トシちゃん」人気
他校の女子生徒が田原俊彦さんを一目見ようと中学校の校門に集まったり、練習中のグラウンドを見に来たりするほどでした。
当時から、自分が注目を浴びることに喜びを感じる「スターの素質」を自覚し始めていた時期でもあります。
田原俊彦は横須賀市立馬堀小学校から甲府市立甲運小学校へ転校
学歴のほか、小学校時代や幼少期のエピソードも見ていきましょう。
幸せな幼少期から一転|父の急逝
小学校1年生の時、小学校の教員をしていた最愛の父が糖尿病の悪化により急逝。
一家の柱を失い、生活は一変しました。
母と姉弟4人で、母の故郷である山梨県甲府市へ移住し、ここから極貧生活が始まりました。
プレハブ小屋での「極貧」生活
甲府に移り住んだ当初の住環境は、想像を絶するものでした。
6畳一間のプレハブ小屋のような借家で、家族5人が身を寄せ合って暮らしていたそうです。
田原俊彦さんは、隙間風が吹き込み、冬の寒さが厳しい甲府での生活は壮絶だったと回想しています。
一方、母親については以下のように語っています。
親父がなくなっておふくろは本当に苦労したと思います。現に僕はおふくろのがんばりを見ていたんで、おふくろに楽させたいというのはありました。
スポニチ
「友達を家に呼ぶことができなかった」というほどコンプレックスを感じていた時期もありましたが、この経験が「早く稼いで母を楽にさせたい」という強い自立心を生みました。
小学校時代の「目立ちたがり屋」と運動神経
甲府市立富士川小学校に通っていた当時から、運動神経はバツグン。
足の速さは学校一で、リレーの選手として活躍していました。
非常に明るく、人を笑わせるのが大好きな少年でした。
「将来は有名になる」と周囲に公言しており、当時からスターの片鱗を見せていたといいます。
田原俊彦の学歴・経歴
田原俊彦さんの経歴はこちらです。
| 年代 | 主な出来事・活動(学歴・経歴) |
| 1961年 | 2月28日、神奈川県横須賀市で誕生。 |
| 1967年 | 小1の時に父が急逝。母の故郷・山梨県甲府市へ転居 |
| 1973年 | 甲府市立東中学校入学。陸上部で活躍し、新聞配達で家計を支える。 |
| 1976年 | 甲府工業高校入学。高1の夏、ジャニーズ事務所に直談判し入所。 |
| 1979年 | ドラマ『3年B組金八先生』に沢村正治役で出演。「たのきんトリオ」として社会現象に。 |
| 1980年 | 『哀愁でいと』で歌手デビュー。日本レコード大賞最優秀新人賞など各賞を総なめ。 |
| 1982年 | 初のNHK紅白歌合戦出場(以後7年連続出場)。 |
| 1988年 | 主演ドラマ『教師びんびん物語』が大ヒット。主題歌『抱きしめてTONIGHT』も大流行。 |
| 1991年 | ジャニーズ事務所から独立(個人事務所「ジェイ・ステーション」設立)。 |
| 1994年 | 長女誕生後の会見での「ビッグ発言」が物議を醸し、メディア露出が激減。 |
| 2000年代〜 | ライブ活動を中心に、地道な全国ツアーを継続。近年は再評価の機運が高まる。 |
田原俊彦さんは、1993年10月に元モデルの向井田彩子(むかいだ あやこ)さんと結婚しました。
1990年頃、共通の知人を介した食事会で出会ったと言われています。
当時絶頂期だった田原俊彦さんが一目惚れし、猛アタックの末に交際がスタートしました。
一方、 結婚翌年の1994年、長女・可南子さんの誕生会見での「僕くらいビッグになると…」という発言がバッシングを受け、田原俊彦さんは苦境に立たされました。
仕事が激減した時期も、向井田彩子さんは献身的に夫を支え続けたと言われています。
そんな向井田彩子さんの学歴や経歴については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
田原俊彦の学歴・経歴まとめ
【学歴】田原俊彦さんは横須賀から甲府へ移り、甲運小学校、甲府市立東中学校、甲府工業高校時代に新聞配達で家計を支えるなど、苦労を糧に芸能界へ挑みました。
直談判で掴んだジャニーズ入所から「たのきんトリオ」でのブレイク、そして独立後の葛藤を経て、還暦を超えてもキレのあるダンスを披露し続ける姿は唯一無二です。
その波瀾万丈な生い立ちと家族の支えこそが、今なお愛される「トシちゃん」の原点と言えるでしょう。









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