上田綺世さんの学歴は、酒門小学校→水戸市立第四中学校→鹿島学園高校→法政大学スポーツ健康学部卒業という流れです。
出身中学は水戸四中、出身高校は鹿島学園で、中学時代に所属したサッカーチームは鹿島アントラーズノルテでした。
大学3年でプロ入りしていますが、法政大学を中退したわけではなく、サッカー部を退部した後に大学を卒業しています。
上田綺世さんの学生時代で私が気になったのは、中学から高校、高校から大学へ進むたびに、希望どおりの道だけを歩いてきたわけではないことです。
この記事では、出身校と所属チームを分けて学歴を整理しながら、ユース昇格を逃した中学時代、選手としての土台を築いた高校時代、大学卒業までの歩みを紹介します。
上田綺世の学歴一覧|中学は水戸四中、高校は鹿島学園
上田綺世さんの出身小学校・中学・高校・大学を、まず一覧で見ていきましょう。
| 区分 | 出身校 |
|---|---|
| 小学校 | 水戸市立酒門小学校 |
| 中学校 | 水戸市立第四中学校 |
| 高校 | 鹿島学園高等学校 |
| 大学 | 法政大学スポーツ健康学部卒業 |
小学校と中学は水戸市のプロフィール、高校は鹿島学園の卒業生紹介、大学は法政大学の卒業生紹介でそれぞれ確かめられます。
選手のプロフィールに出てくる「吉田ヶ丘」や「鹿島アントラーズノルテ」は所属チーム名なので、学校名とは分けて読むと分かりやすいですね。
上田綺世の出身中学は水戸市立第四中学校!ノルテで過ごした3年間
上田綺世さんの出身中学は、茨城県水戸市にある水戸市立第四中学校です。
母校の第四中学校の公式ブログでも、2021年5月10日に平成25年度の卒業生として紹介されています。
通っていた中学とサッカーの所属チームは別
上田綺世さんは水戸四中に通いながら、競技では鹿島アントラーズノルテのジュニアユースに所属していました。
「中学は鹿島の下部組織だった」という経歴の説明は、学校ではなくサッカーをしていた場所の話なのですね。
学校名だけを追うと見えにくいのですが、中学時代からプロクラブの育成組織で競争していたことが、高校進学時の大きな分かれ道につながります。
ユース昇格を逃し、鹿島学園高校へ
4years.の本人取材記事によると、上田綺世さんは中学時代、思うように出場機会を得られず、鹿島のユースにも昇格できませんでした。
その後に進んだのが、鹿島学園高校です。
私は、上田綺世さんの学歴を見るとき、この中学から高校への転機を外せないと思いました。
鹿島の育成組織からそのまま上がったのではなく、高校と大学で力を伸ばし、のちに鹿島アントラーズから必要とされる選手になったからです。
中学卒業時に道が途切れたように見えても、別の場所で成長し、目指していたクラブへ戻った歩みとして読むと、進学先の意味も変わって見えます。
上田綺世の出身高校は鹿島学園!選手権出場と勉強への姿勢
上田綺世さんの出身高校は、茨城県鹿嶋市の鹿島学園高等学校です。
高校3年生で全国高校サッカー選手権に出場した一方、母校には勉強に熱心だった姿も残っています。
高校3年の全国高校サッカー選手権で2得点
日本テレビの紹介では、上田綺世さんは鹿島学園高校時代、第95回全国高校サッカー選手権の全国大会で2得点を挙げています。
同じ発表で上田綺世さんは、高校3年間が選手としてのベースを培った時間だったと振り返っています。
私は、全国大会の成績だけでなく、本人が今のプレーの土台を高校時代に置いている点に注目しました。
プロ入りした後から見ても意味のある3年間だったのなら、鹿島学園は単なる通過点ではなく、自分の武器を育てた場所だったのでしょう。
母校が覚えていた、勉強にも熱心だった高校時代
鹿島学園が2019年に掲載した記事には、上田綺世さんが高校在学中、勉強にも熱心に取り組んでいたことが書かれています。
代表選手としての活躍を紹介する記事に、教室での姿まで残っているのは印象的ですよね。
この話から私は、上田綺世さんはサッカーで結果を出すことだけでなく、目の前の課題に向き合う姿勢を学校生活でも持っていたのではないかと感じました。
高校の偏差値を知ることと、上田綺世さん自身がどう学んでいたかを知ることは別です。
学歴から人柄を考えるなら、学校全体の数字より、母校が伝えるこうした取り組みに目を向けたいと思います。
上田綺世の大学は法政大学!中退せずスポーツ健康学部を卒業
上田綺世さんの最終学歴は、法政大学スポーツ健康学部卒業です。
高校卒業後すぐにプロになるのではなく、大学サッカーで実績を重ねてから鹿島アントラーズへ進んでいます。
大学2年で全国制覇、3年で日本代表に選出
法政大学の卒業生紹介によると、上田綺世さんは大学2年次に全日本大学サッカー選手権大会の優勝に貢献しました。
3年次には現役大学生として日本代表のA代表に選ばれており、大学での活躍が次の舞台につながっています。
中学卒業時にユースへ進めなかった上田綺世さんが、高校と大学を経て代表に届いたと考えると、その間の成長の大きさが伝わってきます。
大学3年でプロ入りしたのに、中退ではない理由
上田綺世さんは当初、2021年から鹿島アントラーズに加入する予定でしたが、2019年に入団を前倒ししました。
当時の入団会見を伝えた日刊スポーツは、法政大学サッカー部を退部し、大学自体は退学せず卒業を目指すと報じています。
その後、法政大学が上田綺世さんをスポーツ健康学部卒の卒業生として紹介しているため、結論は「大学中退ではなく、サッカー部退部後に卒業」となります。
私は、大学3年でプロに進んだという競技の経歴だけを見ると、学生生活もそこで終わったように受け取りやすいと考えました。
ただ、当時の報道と大学の卒業生紹介をつなげれば、競技の場を変えることと、学業を終えることを別々に選んだと分かります。
上田綺世さんの学歴で「中退」が気になった方は、学校を辞めたのではなく、サッカー部を離れたという違いを押さえておくとすっきりします。
上田綺世の出身小学校は酒門小学校!吉田ヶ丘は少年団の名前
上田綺世さんの出身小学校は、水戸市立酒門小学校です。
水戸市は、上田綺世さんを酒門小学校・第四中学校の卒業生として紹介し、競技の略歴には吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団を掲載しています。
ここで、学校名は「酒門」、少年団の名前は「吉田ヶ丘」と異なるのですね。
私は、上田綺世さんの学歴を整理するうえで、名前が似ている学校をチーム名から推測せず、市が紹介している出身校をそのまま示すことが大切だと考えました。
小学校では地域の少年団、中学では鹿島の育成組織、高校では学校のサッカー部と、学ぶ場所とプレーする場所の関係も変化しています。
上田綺世の学歴から考察|中学の挫折と大学卒業は別の選択
上田綺世さんの歩みで私が面白いと思うのは、プロに近づくための進路と、学校で学ぶ進路を、一つのものとして片付けていない点です。
中学でユース昇格を逃した後は高校へ進み、法政大学で実績を伸ばすと、卒業を待たずにプロへ挑戦しました。
それでも大学は中退せず卒業しており、早くプロになることと、学歴として大学卒業を残すことを両方選んでいます。
高校で勉強にも熱心だったという母校の紹介を重ねると、私は、学業を続けることも上田綺世さんなりの取り組み方だったのではないかと感じました。
卒業した理由を本人の言葉として決めつけることはできませんが、競技の舞台を変えながら学びも続けた、という行動には目を向けたいですね。
塩貝健人への評価にも表れる、考えながら学ぶ姿勢
2026年9月のフットボールチャンネルの取材では、上田綺世さんが塩貝健人さんについて、考えながらプレーし、周囲から吸収しようとする姿勢に触れています。
私は、高校と大学で成長を重ねた上田綺世さんだからこそ、若い選手の学ぼうとする姿勢にも目が向くのではないかと感じました。
塩貝健人さんも大学サッカーを経験した選手で、高校の成績や進学の経緯が紹介されています。
詳しくは、塩貝健人が頭いいといわれる理由|高校の成績と慶應法学部への進学をご覧ください。
まとめ|上田綺世の学歴は水戸四中・鹿島学園高校から法政大学卒業
上田綺世さんの学歴は、酒門小学校、水戸市立第四中学校、鹿島学園高校、法政大学スポーツ健康学部卒業という流れです。
中学時代の所属チームは鹿島アントラーズノルテで、ユース昇格を逃した後に高校と大学で力を伸ばしました。
大学3年でのプロ入りは大学中退ではなくサッカー部からの退部で、その後は大学を卒業しています。
私は、上田綺世さんの学歴の魅力は学校名に加え、進路が変わっても、その場所で学んだことを次の舞台へ持っていった歩みにあると思います。

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