岸井ゆきのさんは小学校を卒業後、秦野市立南が丘中学校を経て、神奈川県立秦野総合高等学校に進学しました。
高校3年生の時に山手線に乗車していたところを、女性カメラマンの方にスカウトされたことがきっかけで現在の事務所に入り、女優活動を開始!
高校卒業後は大学には進学せず、芸能活動に専念しました。
そんな岸井ゆきのさんについて、どんな学生時代を過ごしていたのか、学歴や偏差値はどうなのか気になる方もいると思います。
そこでこの記事では、岸井ゆきのさんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)や幼少期や学生時代のエピソードについて調査しました。
- 岸井ゆきのさんの学歴一覧(大学・高校・中学校・小学校)
- 岸井ゆきのさんの学生時代や幼少期のエピソード
岸井ゆきのの学歴一覧!大学・高校・中学校・小学校
岸井ゆきのさんの学歴一覧はこちらです。
大学:進学しなかった
高校:神奈川県立秦野総合高等学校
中学校:秦野市立南が丘中学校
小学校:公式にも記載はなく学校名は不明
また岸井ゆきのさんの学歴に関する内容のほか、大学・高校・中学校・小学校それぞれのエピソードも見ていきましょう。
岸井ゆきのは大学に進学しなかった!理由は?
大学は目指されておらず、高校卒業後は数多くの舞台オーディションに応募しており、この頃に役者になることを決めたことをインタビューで話されていました。
『「19~20歳の時に、1年に5本くらい出演させていただいて、その時に『あ、これはもう絶対にやめられない』と思いました」とニッコリ。「他の職業に就くことも、あんまり考えられなかった」そうで、「『これになろう』というよりは、『これがやめられないだろうな』という気持ちの方が、信用できると思ったんです」』
高校在学中に進路について模索していたときに山手線でスカウトされたことで、『芸能界で生きていく』と決意を固められていたのかもしれません。
高校3年生のときに東京の山手線で、女性カメラマンにスカウトされ、現在の事務所『ユマニテ』を紹介してもらい芸能界入りをしました。
そして高校3年生だった2009年に世界名作劇場の作品を日本現代版にしたドラマ『小公女セイラ』でミレニウス女学院の生徒 桜井ナナ役を演じて女優デビューを果たします。
学歴マニアしかし、デビュー当初はエキストラやセリフのない役が多かったそうです



そのことに危機感を感じた岸井さんは20歳の頃から
自ら劇団のワークショップに参加し舞台での経験を積み始めます
岸井ゆきのさんは2011年のときにモナカ興業#10『43』(下北沢小劇場楽園)で舞台デビューを飾ります。
同年に劇作家 前田司郎さんが主催する五反田団ワークショップに参加した際に出演を依頼され、翌年の2012年に三鷹市芸術文化センターにて上演された舞台『宮本武蔵』にキャストの1人として参加されました。



2013年には深夜枠短編5分ドラマ『3つの告白』第3話で
ドラマ初主演を果たします。
岸井ゆきのさんは22歳だった2014年に東京ガスのCM『母からのエール篇』に出演したことで注目され始めます。
また、2016年にNHK大河ドラマ『真田丸』にて真田信繁の側室 たか役を演じて、大河ドラマに初出演しました。
さらに2017年に公開された映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』では主人公の春野吉子役で初主演を務め、第39回ヨコハマ映画祭で最優秀新人賞を受賞。
2018年にはNHK連続テレビ小説『まんぷく』にて立花福子の姪 香田タカ役を演じ、朝ドラ初出演を果たします。



この時の岸井さんは26歳だったのですが
14歳の役を演じており、違和感のない自然な演技が話題になりました。



朝ドラ見ててゆきのちゃんうますぎ!やばっ!って思ってた!
実際の年齢より下の役をするって凄く難しいはずなのに!



役作りの際に『少し声のトーンを上げたり、お化粧をしないでもらったりしていた』と話されていたそうで、岸井さんの役者魂に感服しました!
『14歳ってとても複雑だと思っていて、見た目のあどけなさは残りますが、思考が大人になっていく、そんな境目だと思うんです。自分の立ち位置も分かってくる頃だと思うので、全部分かっているけど思いを飲み込む瞬間とか、知らないふりをするとか、そういう気持ちの部分は大切に演じたいと思っています。表面的には、少し声のトーンを上げたり、お化粧をしないでもらったりしました』
引用:シネマトゥデイ
2020年には恋愛映画『愛がなんだ』では山田テルコ役を演じて、2020年3月6日に行われた第43回日本アカデミー賞にて新人俳優賞を受賞しました。



CMでも『ネスカフェ』や『キリンビール 本麒麟』など
大手商品のCMにも出演されるように!



2022年には自身初となるフォトエッセイ本
『余白』(NHK出版)を出版されました!
同年12月には実話の自伝を映画化した『ケイコ 目を澄ませて』にて生まれつき聴覚障害で耳が聴こえないプロボクサー 小川ケイコ役を演じ、映画を観た誰もが魅了される演技力が反響を呼びました。
また、この演技力が評価され2023年2月14日に行われた第77回毎日映画コンクールにて女優主演賞と日本映画大賞を受賞し、2023年3月10日に行われた第46回日本アカデミー賞では最優秀主演女優賞を受賞しました。
さらに、2024年に終末期病棟を舞台にした漫画をドラマ実写化した『お別れホスピタル』では辺見歩役を演じ、連続ドラマ単独初主演を果たしました。
そのほかにも数多くのドラマや映画、舞台などに出演されており、岸井ゆきのさんの魅力に魅了される視聴者は後を絶ちません。
中学生の時に一度夢が潰えてしまった岸井ゆきのさんですが、いまは役者として『岸井ゆきのさんじゃないとできない演技や表現』で多くの視聴者に感動や衝撃を与えており、いまや日本を代表する女優さんとして日々活躍されています。
【最終学歴】岸井ゆきのは神奈川県立秦野総合高等学校の出身!
【神奈川県立秦野総合高等学校】
| 神奈川県立秦野総合高等学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | 全日制課程 総合学科: 41 定時制課程 40~49 |
| 学校の場所 | 〒257-0013 神奈川県秦野市南が丘1-4-1 |
| 他の有名人 | 細谷将司(バスケットボール選手) 三平和司(プロサッカー選手) 小林直己(短距離選手) 茂庭照幸(プロサッカー選手 / アテネ五輪代表) |
こちらの学校は、県立大秦野高等学校(1926年(大正15年)創立)と県立秦野南が丘高等学校(1981年(昭和56年)創立)の2校が統合し、総合学科高校として2007年(平成19年)に設立され、2008年(平成20年)に開校しました。
地域からは『秦総(はだそう)』と呼ばれて親しまれています。
2025年(令和7年)で創立18周年と県内でも開校して間もない公立校になります。
総合学科が設置されているのが特徴で、生徒自身で時間割を作ることができ、『グローバル教養 / 情報ビジネス / 生活デザイン / 芸術スポーツ』の4つの系列で設定されている選択科目は70種類以上あり、生徒自ら専門性を伸ばす『自分に最適な授業』を選ぶことができること学校で有名です。
また、神奈川県立の高校で唯一天文台がある学校で、高さ8m程度のクライミングボードが野外に設置されており、県内でも希少な特徴がある学校になります。
岸井ゆきのさんは2007年4月に神奈川県立秦野総合高等学校へ入学し、2010年3月に卒業されています。
高校では帰宅部で、将来のことについてずっと悩んでいた
この頃の岸井さんは、『将来やりたいことを見つける準備期間にしよう』と決め、模索する毎日を過ごしていたんだそう。
そのなかで衣食住のどれかに関わる仕事をしたいと思うようになり、調理学校やバリスタなどの体験入学などもしてみようと考えられていました。
ほかにも保育士や美容師にも興味を持っていましたが、当時は明確に将来について見出すことができず、『自分は何になりたいのか分からずにいた』と語られています。



また、進学した高校が岸井さんには合わなかったそう。



入学してからの3年間は『卒業したら何をしよう?』と
未来のことだけを考えて過ごされていたそうです。



学校合う合わないあるある…!それでなのかな?
ゆきのちゃんいわく、20歳頃までの記憶が薄いみたいだよ!
高校3年生の時にスカウトされ、芸能界の世界へ
ある日、バリスタの専門学校の見学をするために東京の山手線に乗っていた際に、女性カメラマンの方に『あなたを被写体に写真を撮りたい』と声をかけられたのだそう。



のちにその方に紹介してもらったのが
今の事務所ユマニテだったそうですね♪
このことをお母様ははじめは、スゴい!と興奮する一方で『詐欺じゃないのか?』『あとからお金を要求されるのではないか?』と疑い、何度か事務所についてきたことがあったんだそう。
事務所がちゃんとした芸能事務所と分かった後は、お母様は大賛成だったのと『上川隆也さんと大森南朋さんと共演して♡』とお母様から共演のお願いを言われたそうです。



心配してるときはちゃんとお母さんだけど、
大丈夫ってわかったらお茶目になるの可愛すぎる!(笑)



さらっと『共演して♡』って言ってて
ゆきのちゃんのお母様めっちゃ可愛い♡
高校卒業後は上京してアルバイトの日々
『アルバイトとはいえ自分の力で生活できているのならば言うことは何もない』のスタンスだったご両親のおかげで、岸井さんはスムーズに芸能界入りを果たすことができました。



しかし、ブレイクされる前はかなり苦労されており、
大変だったようですね。



ちなみに高校卒業後に地元の神奈川県秦野市から、
1人上京して暮らしたアパートの家賃は5万円だったそうです。
当時の岸井さんは生活費はあまりかからなかったそうですが、舞台をできるだけ多く観たいことから、舞台チケット代を稼ぐ為にバイトを3つも掛け持ちされていたそうです。



ほかにもバイトを掛け持ちしていた理由は
映画をレンタルではなく映画館で観たかったからだそうですね!
コーヒーショップでも働いてみたかった岸井さんは、色んなチェーン店に面接を受けにいきましたが、全て落ちてしまったんだとか。



四六時中働いていた岸井さんでしたが、
バイトは『皿洗い専門』だったんだそう。



ですが、一度だけイタリアンレストランで
ホールで働いたことがあるんだそう。
しかし、座っているお客さんに白ワインをかけてしまう大失敗をしたそうで、その時は激怒する客に対して謝罪に謝罪を重ねて、汚れてしまった物へのクリーニング代を払ってなんとか事なきを得たんだそう。
この出来事で『自分には接客は向いていない』『バイトを辞めなくちゃいけないかも』と思い悩んで次の日に、今度は牛乳でやらかしてしまい、以降は飲食店でのアルバイトは皿洗い専門でするようになったそうです。



ゆきのちゃんは飲食店以外でもアルバイトしたことあって
洋服の検品作業のバイトもしてたんだってー!
岸井さんは『働いていない自分が嫌い』なことから、時間があればすぐバイトに行かれていたそう。
いまも続けられているかは不明ですが、寿司屋さんのバイトが一番長かったそうで、バイトとしておせち料理を毎年作りにお店に行かれていたそうです。



おせち料理のバイトをしないと年を越した気持ちにならないんだって!
理由がゆきのちゃんらしくてほっこりするね♪
ゆきのちゃんが作ったおせち料理たべたーっいっ!!
当時の岸井さんにとってアルバイトは『リフレッシュできる場所』だそうで、同じ作業を無言でずっとやっていると無心になれて心が落ち着くんだそうです。
岸井ゆきのは秦野市立南が丘中学校の出身!
【秦野市立南が丘中学校】
| 秦野市立南が丘中学校 | |
|---|---|
| 偏差値 | 公立のためなし |
| 学校の場所 | 〒257-0013 神奈川県秦野市南が丘1-6 |
| 他の有名人 | 山田涼介(俳優/アイドル(Hey! Say! JUMP)) 金子きょんちぃ(お笑いトリオ ぱーてぃーちゃん) |
こちらの学校は1982年(昭和57年)に秦野市立南中学校より分離されるかたちで開校したのが始まりで、同年の4月15日に竣工式が行われ、この日が開校記念日となりました。
開校当初の生徒数は219名、教職員数は16名で発足されていました。
2025年(令和7年)で創立43周年を迎えました。
系列校ではありませんが、神奈川県立秦野総合高等学校がすぐ隣にあり、そちらの高校に進学する生徒も多くいます。
岸井ゆきのさんは2004年4月に秦野市立南が丘中学校へ入学し、2007年3月に卒業されています。
中学3年間ずっと器械体操に打ち込んでいた
【プレミアの巣窟】『気づかいルーシー』
15年の舞台の模様。
岸井ゆきのさんの見事な前方倒立回転跳び🤸に思わず「おおっー!😃👏👏👏」
ゆきのさん、子どもの頃に器械体操しててバク転とか得意なんだよね。
でも凄いよ!生で(舞台で)観るの楽しみだあ😍#気づかいルーシー #岸井ゆきの pic.twitter.com/tltySpK1Hx— ぱんた☆ボドゲと映画好き (@pantaPConly) May 16, 2017
小柄な身長は器械体操に有利だということもあり練習が楽しかったそうで、毎日真剣に取り組んでいたそうです。



この頃は『選手になる!』と決めて猛練習されていたそう!



中学時代は出場した大会で優勝した経験もあるみたい!
ほかにも出場した大会はたくさん!ゆきのちゃんかっこいい♪
ですが、中学3年生のときに体操の練習している際に、バック転で失敗してから恐怖心を感じるようになってしまったことから、飛ぶことができなくなったそう。
また、高校受験について考えなくてはいけない時期だったこともあり、そのまま中学3年生のときに器械体操はやめてしまったそうです。
当時の岸井さんにとって、『将来の夢は体操選手一択!』だったため、頑張っていた器械体操をやめてからはなにをして生きていくかという『将来を模索する時期』だったんだそう。



そういえば同じ中学校の後輩にHey!Say!JUNPの山田涼介くんも
いたんだってー!同じ地元なのすごすぎる!
岸井ゆきのさんの地元エピソード



『水無川』は秦野の山奥から市街地まで伸びている川のことで、
弘法大師が川の水を涸らしてしまったという伝説が名前の由来なんだとか



『震生湖』は関東大震災の際に、付近の丘陵が崩落してできた堰き止め湖のことで、神奈川県中井町と秦野市にまたがってできている湖のことです
岸井さんはこの『水無川に水が無いとき』が印象深いらしく、『からっからに乾いた水無川の歩道を歩くのが好きでした』とあるインタビューで話されています。
秦野は自然が豊かで美しいことから、岸井さんも秦野に住んでいた頃は水無川やその周辺を散歩するのが好きだったことがうかがえますね!



ゆきのちゃんはお散歩とか好きなイメージあるある!
木々に囲まれながらの散歩とかきもちよさそう♪
夜に『震生湖』へ散歩に行くことも多かったことも明かされており、『こんなところに湖があるなんておかしいなぁ、とか想いながら眺めるのが好きでした。母には危ないからと止められたけど』と語られています。



夜に女性が1人で散歩するのは心配になりますが、
『夜の震生湖』を散歩するのが趣味だったことがうかがえますね!



岸井さんはお気に入りの場所はほかにもあるそうで、
秦野総合高校近くにある『スィーツガーデンサクララ』さんだそうです!


岸井ゆきのの出身小学校はどこ?神奈川県秦野市内の公立校?



ですが、ある雑誌の取材によると、
出身地は『秦野市の南が丘』と明かされています。



秦野市内には公立小学校が13校ありますが
秦野市南が丘にあるのは『秦野市立南が丘小学校』だけ!
実は、秦野市立南が丘小学校は岸井さんが通われていた秦野総合高等学校と秦野市立南が丘中学校のすぐ近くにあるため、校区からして秦野市立南が丘小学校に通われていたのではないかと思われます。



しかし、秦野市立南が丘中学校の校区内には
秦野市立南小学校と秦野市立本町小学校も含まれています。



そのため、あくまで推測になってしまうので
はっきりと断定することはできませんでした。
岸井ゆきのさんは1998年4月に小学校へ入学し、2004年3月に卒業されています。
岸井ゆきのさんの家族構成
岸井さんのご両親とお兄さんは一般人のため、名前や写真などの情報はありませんでしたが、お父様のお仕事は会社員で、魚釣りが趣味だそうです。



休日には親子で船釣りに出かけるほど仲が良く、
釣った魚はお父様が捌いて料理して家族みんなで食べていたんだそう!



ゆきのちゃんのお父様は料理上手で、
お父様が作ったエビチリはとても美味しいんだって~♪
岸井さんのInstagramには、お父様と一緒に桜並木が綺麗な場所に散歩した時の写真を投稿されていて、その際にお父様が作ったエビチリを食べたというエピソードも一緒に投稿されていました。
岸井さんが運転免許を取ったときには、不慣れな娘のためにとお父様が助手席に座ってドライブに付き合ってくれたそうで、岸井さんも『リラックスして運転できる』そうで、そんな父娘の微笑ましいエピソードについても話されています。
実はネット上にて『岸井ゆきのさんの父親は俳優の古谷隆太さんでは?』という噂が広がっているようです。
結論からして…古谷隆太さんは、岸井ゆきのさんの父親ではありません。
噂が広まったきっかけは、2012年に上演された舞台『あの山の稜線が崩れてゆく』にて
お二人は親子役で共演されていたのですが、あまりにも自然な親子の掛け合いだったことから観客たちの中で、
『2人は本当の親子では?』という噂が生まれてしまったということでした。
上記にも記載した通り、岸井さんの父親は一般人で会社員として働かれています。
岸井さんのお母様はパートタイムのお仕事をしながら家庭を支える優しいお母様で舞台鑑賞が趣味だそうです。



岸井さんも幼い頃からお母様と一緒に
演劇やミュージカルを観に行かれていたそう!



その経験を通して、女優に憧れを抱いていき
のちに役者を目指すきっかけになったんだそうです!
また、岸井さんが高校生の時にスカウトを受けた際には、お母様も最初はとても喜んだそうですが詐欺じゃないかと心配されて、何度も事務所に足を運ばれたことについてインタビューで明らかにされています。
『母は「えっ、すごいじゃないの!」と興奮する一方、「詐欺じゃないのか、あとからお金を要求されるのではないか」と疑い、何度か事務所についてきた。でも、どうやらちゃんとした事務所らしい、とわかったあとは、放置された。』
引用:婦人公論.jp



心配するお母様と安心させるゆきのちゃんのやりとりが
すごく可愛くて癒される♪
岸井さんには3歳年上のお兄さんがおり、『お兄ちゃんっ子』と自負するほど、いつも一緒に遊んでいたそうです。



幼い頃からお兄さんが大好きで、
お兄さんがゲームしているときは隣でずっと見ていたんだとか!



お兄さんが好きすぎてか『将来は男の子になる!』って
小さい頃のゆきのちゃんは言ってたみたい(笑)可愛すぎる♡
また、男子トイレに一緒に入ろうとして止められて大泣きしてしまうほどお兄さんにずっとべったりだったそう。
ほかにも岸井さんは『セーラームーンを見たことがない』というエピソードからも、お兄さんに影響されて幼い頃は、男の子向けの遊びをよくされていたのがうかがえますね。
とても睦まじい岸井家ですが、ある独自のルールが存在しているんだとか。
それは…『家族旅行の旅費は自分で払う!』というもの。
これには理由があり『家族という近しい間柄でも、それぞれを個人として捉える家族』という考えから出来たルールだそうで、ご両親の教育方針の中に含まれていたのではないかと思われます。
岸井さんとお兄さんはルールをしっかり守り、大人になったいまでも家族4人集まって気持ちを共有しあっているそうで、とてもいい家族関係を築いているのがうかがえます。
子供の頃は大人しくて、人前に出るのが苦手な子だった
ですが、負けず嫌いなとこもあったそうで、幼い頃はお兄さんとはしょっちゅうケンカをしていたそうです。



ゆきのちゃんは子供の頃、道具箱に液体のりつけて時間が経ったら
はがす遊びしてたみたい!懐かしい♪あたしもしてたな~(笑)



ほかにも岸井さんのご実家周りは山や川など自然が豊かな場所なことから
よく自然の中で遊びまわっていたんだとか。
また、岸井さんは小学1年生の時から体操クラブに所属して器械体操を始めており、地元の大会で優勝もされたこともあるほど実力もあったことからこの時の将来の夢は『体操選手』だったそうです。
『小学生の頃は、器械体操を習っていたという岸井は「バク転とか宙返りとかもやって、クルクル回っていました。その頃の将来の夢は、体操選手になることでしたね」と回顧。』
引用:ORICON NEWS
ですが、ある日、岸井さんは木登りをしている最中にあやまって落下してしまい、背中から落下してしまったことから過呼吸になった経験があるそうです。



このとき大事には至らなかったそうで、身体を故障して
器械体操が出来なくなってしまう状況は逃れることが出来ました。



ゆきのちゃんすっごい痛かったよね?!
何事もなくてほんとよかったぁ~…(泣)
以上、岸井ゆきのさんの学歴についてお届けしました。
大学:大学には進学しなかった
高校:神奈川県立秦野総合高等学校
中学校:秦野市立南が丘中学校
小学校:公式にも記載はなく学校名は不明
幼い頃や学生時代のエピソードは、今の岸井ゆきのさんを思わせるような話もたくさんあり、ほっこり癒されました。
これからも岸井ゆきのさんの今後を応援しています!
岸井ゆきのの学歴に関するSNSの声
ビジネスホテルで映画、#やがて海へと届く、を見る。
震えた。
すごい映画だった。カメラワーク、演出、演技、全てが一体となっていた。岸井ゆきのさんの演技は化け物だ。
知らなかったが当時どんな評価だったのだろう。
映画史に残る傑作だよ。
見れて良かった pic.twitter.com/tcRtBaJCb7
— モトちゃん TOKYOportraitAWARD25 12/2〜7LOVE&PEACE (@motoyuk) September 15, 2025
『お別れホスピタル』古田新の不良老人が良かったな。煙草吸ったりゴネたり。好き勝手生きてきて、1人で逝こうとしている。でもまだ50代だよな😭
主演の看護師、岸井ゆきのは昨年の『ケイコ 目を澄ませて』の自然体演技が素晴らしかった。去年からドラマ主演で大活躍!
#おいでよ916 pic.twitter.com/skHwQp5rdr— スタ・エレ🇵🇸🇺🇦 (@Bt1THS9XFohvr93) March 5, 2024
岸井ゆきのちゃん150cmなんだ!可愛い!小さい!可愛い!
ちんまりしてるのに気強い宮様本当に最高!
気が強くて頭のいい人はみんな好き!— 小田 (@odaodaodadada) December 12, 2023
- 『岸井ゆきのさん、作品に対してたいへん献身的な演技で、監督は安心して任せられたことでしょう。すごく頭が良い役者さんだと思う。』
- 『岸井ゆきのがカツラ付けた頭身がふくすけを可愛くしてた なんだあの頭身、ゆるキャラか』
- 『まじそれな!!!! 岸井ゆきのちゃんが大優勝すぎる! ツンデレで一生懸命で愛情深くて頭のいいクレイジーな宮様が生きてる!!最高なんよ!!!!』



ゆきのちゃんの演技は凄いだけじゃなくて可愛い!!!
映画やドラマでゆきのちゃん出ていたら吸い込まれるように見ちゃう!

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