大谷翔平さんは奥州市立姉体小学校を卒業後、奥州市立水沢南中学校、花巻東高等学校に進学しました。
奥州市立姉体小学校時代に父親が監督を務めていたリトルリーグに所属し、野球を始めました。
大学には進学せず、プロ野球選手として野球に専念しました。
そんな大谷翔平さんについて、どんな学生時代を過ごしていたのか、学歴や偏差値はどうなのか気になる方もいると思います。
そこでこの記事では、大谷翔平さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)や幼少期や学生時代のエピソードについて調査しました。
- 大谷翔平さんの学歴一覧(大学・高校・中学校・小学校)
- 大谷翔平さんの学生時代や幼少期のエピソード
大谷翔平の学歴一覧!大学・高校・中学校・小学校
大谷翔平さんの学歴一覧はこちらです。
大学:進学しなかった
高校:花巻東高等学校アスリート特進コース(現在はスポーツコース)
中学校:奥州市立水沢南中学校
小学校:奥州市立姉体小学校
また大谷翔平さんの学歴に関する内容のほか、大学・高校・中学校・小学校それぞれのエピソードも見ていきましょう。
大谷翔平は大学に進学しなかった!理由は?
大谷翔平さんは大学には進学しませんでした。
高校生の時に初めて日本代表の一員としてIBAF18U世界野球選手権(韓国・ソウル)に出場した際に
レベルの高い同い年と野球をやって、負けたくない!もっと高いレベルで野球をやりたいと刺激を受けたため
大学には進学せずプロの道に進んだそうです。
今月上旬まで日本代表の一員としてIBAF18U世界野球選手権(韓国・ソウル)に出場。初の世界大会だったこともあり「レベルの高い同い年と野球やって、そういう選手に負けたくない、高いレベルでやりたいと思った」と刺激を受け、決断に至った。
引用:日刊スポーツ
2012年に北海道日本ハムファイターズに単独指名で入団し、この頃から投手と打者を高いレベルで行える【二刀流】の選手として大いに活躍しました。
元々アメリカで野球をやりたいと思っていたようで、2017年にメジャーリーグのロサンゼルス・エンジェルスに移籍しメジャーリーグに進出しました。
2018年には二刀流での活躍で、「10試合登板、20本塁打、10盗塁」と好成績を残し、日本人史上4人目となる『新人王』を受賞しています。
怪我と闘いながらではありますが、好成績を残し2021年には『シーズンMVP賞』と最も打撃に優れた選手が選ばれる『シルバースラッガー賞』を受賞しています。

イチロー選手以来の日本人史上2人目の受賞者なんだって!
2023年のWBCでは日本代表としてWBC史上初の投手部門と指名打者部門に選ばれ、3大会ぶりの3度目の優勝に貢献したとして『MVP賞』を受賞しました。
同年には、最多本塁打王を獲得し2度目の『シーズンMVP賞』と『シルバースラッガー賞』を受賞しさらには
最多本塁打王を獲得したことにより、日本人及びアジア人史上初となる『ハンク・アーロン賞』も受賞しています。
2023年の12月からはロサンゼルス・エンジェルスからロサンゼルス・ドジャースへ移籍しました。
2024年には怪我から復帰し、投手としてではなく指名打者として専念したシーズンでなんと「50本塁打、50盗塁」を達成し、ワールドシーズン制覇に大きく貢献したそうです。
指名打者として専念していましたが、2025年6月からは投手としても復帰を二刀流として活躍しています。
【偏差値44】大谷翔平は花巻東高等学校
【花巻東高等学校】
花巻東高等学校アスリート特進コース(現在はスポーツコース) | |
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偏差値 | 特進コース:49 スポーツコース:44 進学コース:42 |
学校の場所 | 岩手県花巻市松園町55−1 |
他の有名人 | 菊池雄星(プロ野球選手) 松本遼大(プロ野球選手) 西舘勇陽(プロ野球選手) 岸里亮佑(元プロ野球選手) |
特進コースは難関大学を目指すコース、進学コースは大学進学を目指すコース、スポーツコースは部活動に所属する生徒を対象としたコースとなっています。
私立の高校で、部活動に力を入れいていることで有名な学校なようで男子寮があり原則として運動部に入部する生徒が入寮しているとのことです。
野球部が強く数々の大会で逆転勝利をしたことから「逆転の花巻東」とも言われています。
進学指導設備も充実していて、私立の特色を生かした学習方法を行っているそうです。
高校入学は菊池雄星さんに憧れて入学した!
大谷翔平さんが花巻東高等学校を選んだ理由は菊池雄星さんに憧れたため進学を決めたそうです。
その大会を見た大谷翔平さんは、岩手県が一つになって岩手のチームを応援していた光景が印象に残っており
花巻東高等学校には世界を巻き込み日本中を騒がせた男がいる!自分も尊敬される選手になりたい!
と思い花巻東高等学校に進学をしたと話しています。
僕が中学3年生の時に見た光景がある。岩手県の人が熱狂して岩手のチームを応援していたこと。高校野球で岩手が一つになっていたこと。その花巻東には世界を巻き込み日本中を騒がせたすごい男がいた。だから、僕も雄星さんのように尊敬される選手になりたい。愛されるプロ野球選手になりたい。
引用:リアルスポーツ



モチベーションが上がったんだね!
大谷翔平さんは人ができないことをやってみたい!という冒険心があり
もし、菊池雄星さんが全国優勝をしていたら別の学校に進学していたかもしれないと話しています。



自分達の手で花巻東高等学校を優勝させたい!って思ったみたい
佐々木洋監督の指導で目標を可視化していた!
花巻東・佐々木洋監督…ホームラン王の大谷翔平へhttps://t.co/izx2cPxNtb
— 大谷翔平 速報⚾️ShoTime News (@ShoTime_News) October 2, 2023
メジャーリーグで日本人が本塁打王を獲得する日が来るなんて想像もできなかった。… pic.twitter.com/ZSjgIdZ1Si
野球部に入部後、佐々木洋監督の指導で野球部全員に「目標達成シート」を作成するよう指導したそうです。
部活内で目標達成シートを作成する時間が設けられていて、作成した目標達成シートを佐々木洋監督に見せると
目標に期限がないけど、いつまでにできるようになりたいの?などアドバイスをもらいながら
目標達成シートを作成していたと話しています。
大谷翔平さんは一番の目標に【8球団からドラフト1位で指名される】と設定しました。
それを実現するために必要なこととして、①体づくり②コントロール③キレ➃メンタル⑤スピード時速160キロ⑥人間性⑦運⑧変化球と設定していたようです。
その中の『運』を達成するにあたり、ゴミ拾いをする!部屋の掃除をする!と掲げていたようで、日々の努力で『運』を上げる努力をしていました。
プロになった今も、高校時代の習慣がしみついており、今でもゴミを拾い続けいています。
大谷選手がゴミ拾いや掃除をはじめたきっかけは、自らの「運」を上げるための日々の努力の一つだったんですね。このチャートを作ったのが2010年、そこから約13年経って、プロになり目標を達成した今でもゴミを拾い続けています。
引用:週プレニュース



ルーティーンになってるんだ!



他にも【メジャーリーガーになる】【チームでの日本一になる】って目標も設定してたみたい!
高校の寮生活で大きく変わるきっかけになった?


引用:女性自身
大谷翔平さんは今は強靭な体ですが、入学当初は虚弱体質で練習や寮生活の中で体調を崩し病院で点滴をうけていたようです。
花巻東高校の野球部員はご飯をどんぶり10杯食べるルールがあり、大谷翔平さんは体を強くするためにも
どんぶり13杯食べるルールになっていたんですが、大谷翔平さんは食べきれず寮の引出しに隠したそうで
大量のカビが発生し、白カビ事件が起こりました。
その後胃袋が鍛えられ、チームメイトと近くのラーメン屋へ夕食前のおやつを食べに行けるほどに胃袋が大きくなったそうです。
花巻東高校の野球部員は毎日どんぶりでご飯10杯を食べるルールでしたが、ガリガリの大谷選手にはどんぶり13杯のノルマが課せられていました。この食トレがつらく、食べきれなかったご飯を寮の机の引き出しに隠していたらカビが大量に発生。“白カビ事件”を起こしたそうです。
引用:NEWSポストセブン



引出しに隠そうとして誤魔化す思考はThe男の子って感じ!
また、大谷翔平さんは高校での寮生活で何度も怒られていたようで、1度すごく怒られたことがあったそうで
寝坊をしてしまい練習を数日はずされ、雪かきをしていた時がありました。
その時、大谷翔平さんが一番練習をしないといけない立場だったのに、練習を外される状況をつくってはならないと思ったそうで、ちゃんと考えてちゃんと行動するようになったと話しています。



何が正しいのかを考えて行動する大切さを寮生活で学んだらしいよ!
大谷翔平は奥州市立水沢南中学校の出身
【奥州市立水沢南中学校】
奥州市立水沢南中学校 | |
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偏差値 | 公立のためなし |
学校の場所 | 岩手県奥州市水沢真城大檀39−1 |
他の有名人 | 北條愁子(フリーアナウンサー) 吉田戦車(漫画家) 大谷龍太(大谷翔平さんの兄) |
一関シニアに所属していた


引用:朝日新聞
大谷翔平さんは地元の花巻市から車で1時間ほど離れた一ノ関市の一関シニアに所属していました。
平日週2回の夜間練習や毎週末の練習に仕事で疲れてる中ご両親が送り迎えをしてくれいてたようで
とても感謝していると話しています。
中学時代は、地元の岩手県花巻市から車で一時間ほど離れた、一ノ関市の「一関シニア」に所属していました。毎週末の練習や平日週二回の夜間練習など、仕事で疲れているにもかかわらず、送り迎えをしてくれた両親にはとても感謝しています。
引用:子ども応援便り



ポジションは固定が無く投手や遊撃手、外野手とかもやってたんだって!
一関シニアではエースとして活躍をしていて、中学生でありながら時速130㎞を超える球を投げていました。
大谷翔平さんが投げる球が速すぎてキャッチャーミットを突き破るような音を出していたそうで
対戦相手が何人もバットを振ることが出来なかったようです。



中学生のころから才能開花してる!
バッターとしても有能だった!
中学1年生のころ合宿をしていた際、大谷翔平さんが場外ホームランを打ち、打った球が道路の歩行者用信号機に直撃をし信号機を壊してしまいました。
翔平が放った打球は場外に飛び出し、道路の歩行者信号を直撃し、ぶち壊してしまいました。
引用:東スポ
このことがあり大谷翔平さんはバッティング練習でピッチャーフライは禁止になりました。



中学生で信号機壊すぐらい強い打球を打つなんてすごい!
中学3年生の時には全国大会に出場し、バッターとして3番・4番を任され、ホームランを連発しました。
大谷翔平さんはこの全国大会で注目を集めていったそうです。
大谷翔平さんは投手としてもバッターとしてもすごいと注目を浴びる中、とても礼儀正しく全国大会の試合後に
敵の指揮官にご両親と挨拶に行き、中学生ながらスターの風格を放っていたようです。
そして試合後、中学生の大谷少年は敵チームの指揮官だった蓬莱氏の目の前に現われ、両親と共に挨拶に来てくれたという。そんな大谷の姿に「凄いでしょ」と当時からすでにスターの風格を放っていたことを語った。
引用:Yahoo!ニュース



大谷翔平さんは「一振りで流れを変えられる存在」って言われてたみたい!
大谷翔平は奥州市立姉体小学校の出身
【奥州市立姉体小学校】
奥州市立姉体小学校 | |
---|---|
偏差値 | 公立のためなし |
学校の場所 | 岩手県奥州市水沢姉体町京原70 |
他の有名人 | 大谷龍太(大谷翔平さんの兄) |
小学校2年生から野球を始めた!


引用:週間女性PRIME
大谷翔平さんは常に7歳上のお兄さんを追いかけていたようで、先にお兄さんがやっていた野球に興味を持ち
小学2年生の時に「水沢リトルリーグ」の練習を見て、目を輝かせこのチームで野球がしたいと言ったそうです。
水沢リトルリーグの練習場は自然に囲まれた河川敷になっており、大谷翔平さんは練習中によく右後方に流れる川を越えて
100m程飛ばす本塁打を打つことがあったそうで保護者の方が大谷翔平さんが何個も打った球を探すのが一つの仕事になっていました。
水沢リトルのグラウンドの両翼は65メートル。小3から練習中の本塁打が目立ち始め、時に右翼後方を流れる胆沢川を越えて100メートル近く飛ばすこともあった。浅利さんや保護者らは、大谷のスプラッシュ弾を探すのが一仕事だった。
引用:スポーツ報知



特大ホームランを打ちまくって
大谷翔平さんには引っ張り禁止令がでたんだって!
投手としても才能を開花させ、小学校5年生の頃には球速110㎞を記録しました。
リトルリーグではピッチャーとキャッチャーまでの距離が約14mしか離れてなく、この距離で110㎞の投球が飛んでくるのは恐怖を感じるぐらい速かったそです。



小学生ですでに二刀流!!
野球以外のスポーツもやっていた!
大谷翔平(幼少期)
— nozio (@nozio1986) July 8, 2021
ギャラリー
コレクション(4枚)#大谷翔平#大谷翔平のパワーに驚いた #大谷翔平ホームラン#大谷翔平の優しさに驚いた pic.twitter.com/9eOVCa3j2E
水泳は体全体を使うスポーツなため、関節の柔らかさや肩の可動域に大きく影響しているようです。
お母さんの影響でバドミントンもやっており、よく練習に行くときは一緒に行っていました。
大谷翔平さんは運動神経が抜群で、スマッシュは速く、水泳では上級生のコースを泳いでいたそうです。
大谷翔平さんはバドミントンや水泳の選手になる道もあったそうですが、野球の方がかっこいいと思ったし
一番自信があったと話しています。
バドミントンも水泳も好きでやっていたので、どの道に進んでもおかしくなかったとは思いますけど、一番最初にみたときに、かっこいいな、と思ったのは野球でした。一番自信もありましたし
引用:朝日新聞



お母さんは元バドミントンの選手なんだって!
以上、大谷翔平さんの学歴についてお届けしました。
大学:大学には進学しなかった
高校:花巻東高等学校
中学校:奥州市立水沢南中学校
小学校:奥州市立姉体小学校
幼い頃や学生時代のエピソードは、今の大谷翔平さんを思わせるような話もたくさんあり、ほっこり癒されました。
これからも大谷翔平さんの今後を応援しています!
大谷翔平のよくある質問
大谷翔平さんについて「よくある質問」をまとめました。
- 大谷翔平の年俸は?
- 大谷翔平の海外の反応は?
- 大谷翔平の結婚は?
大谷翔平の年俸は?
2025年シーズンの年俸は1憶200万ドルです!
大谷翔平さんは2023年にドジャーズと10年/7憶ドルで当時プロスポーツ選手史上最高額で契約を結びました。
受け取り方は、変則的な20年払いの契約になっているそうで、2024年~2033年までの10年で200万ドルになり
2034年~2043年までの10年は6800万ドルでの受け取りになるそうです。
残りの6憶8000万ドルは契約終了後に受け取る契約となっています。
大谷翔平さんは日本企業を中心に20のブランドとスポンサー契約をしており、スポンサー収入として1億ドルあるそうです。
副収入だけで1億ドルになるのはメジャーリーグ史上初めてで、それだけ大谷翔平というブランドの価値の高さを証明しています。
大谷翔平の海外の反応は?
2025年現在【世界的スター】として非常に高い評価を受けています。
大谷翔平さんの二刀流での活躍や人間性が高く評価をされ、世代を超えたスーパースターとして認知されています。
メジャーリーグの公式SNSに大谷翔平さんがホームランを打ったり、ピッチングのハイライト動画をアップすると
数百万回再生されるようで、コメント欄には世界中のファンからの賞賛や驚きの声が上がっているそうです。
ファンだけではなく、現役の選手やOBからも称賛されています。
プレイだけではなく、大谷翔平さんの謙虚な姿勢で周りへの感謝を忘れないことがファンの心をつかんでいるようです。
大谷翔平の結婚は?
大谷翔平さんは2024年2月29日に元バスケットボール選手の田中真美子さんと結婚したことを報告しています。
大谷翔平さんと田中真美子さんの出会いの場は首都圏にある練習施設の廊下で短いスパンで何度か会ったことがきっかけと話しています。
最初田中真美子さんは、大谷翔平さんのデートを断っていましたが、両親の説得でデートをすることになったそうです。
渡米前ではよくオンラインで電話をしており、一緒にドラマを見たり、お笑い番組を見たりと仲を深めていきました。
2025年4月19日には第一子となる女の子が誕生しました。
大谷翔平さんは出産を立ち会うために、レンジャーズ戦を欠場し、出産にたちあったそうです。
大谷翔平さんはインスタグラムで田中真美子さんとお子さんへの感謝の気持ちとファンの方、医療機関の方への感謝の気持ちを載せています。
メジャーリーガーは球場に子供を連れてくる方が多いようで、今後大谷翔平さんも子供を連れて他の選手の子供と交流をしたり、イベントにも親子で参加されると思います。
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